明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

心に響くリヒテルのピアノ

 休職中で自宅で過ごす時間が増えたので、何となくレコード棚からでたらめに一枚の古いレコードを引き出しました。リフテルのイタリー楽旅第1集というタイトルで、帯にはスヴィャトスラフ・リフテル来日記念盤とあります。グラモフォンレーベルからのものでステレオ2000円という値段とリヒテルではなくリフテルと書かれているところにこのレコードがかなり古いものであることがうかがえます。おそらくクラシック好きだった母が気まぐれに買い集めたレコードの一枚なのでしょう、他にはリヒテルのものはなく、この一枚のみでした。

 そういえば、昔、うちにはいわゆるアンプとレコードプレーヤーが一体となったパイオニア製のモジュラーステレオがありました。真空管が温まるまでには少し時間が掛かりました。ああ、そうだ。確かにこのレコードは時々聞いていたなぁと懐かしく思い、およそ三十数年ぶりにターンテーブルにそのレコードをのせ、ほこりをぬぐってから針を落としました。

 実は私はオーディオマニアほどではありませんが、今も真空管アンプの音を好み、タンノイのブックシェルフ型のスピーカーで音楽を楽しむことを趣味としています。さて数十年の眠りから覚めてスピーカーからいきなり鋭いリヒテルの打鍵が轟きました。一曲目はショパン幻想ポロネーズ、ライブ収録のため会場のざわめきや咳払いまでもがピアノの音に交じって聴こえます。どこか暗い影を落としているような曲です。ところどころにショパンらしい美しく華麗なメロディがちりばめられているものの、作曲家の苦悩のようなものがにじみ出てくる。複雑な曲想を持った曲です。そして3曲目の練習曲ハ短調『革命』を弾き始めるや、私は思わず呼吸することさえ忘れるほどの陶酔感と高揚感で全身が麻痺したようになったのです。

 ものすごい勢いでピアノのキーを叩くリヒテル。演奏にのめり込んでいる様子が直に伝わってきます。演奏が終わるや、会場は割れんばかりの拍手で埋め尽くされていました。私の魂は今やリサイタル会場にいました。

 A面はすべてショパンの曲が収録されていました。リヒテルが最後の曲を弾き終えた時、一度、針をレコード盤から上げて、そこまでにしました。B面にもドビュッシーなどの興味深い曲が収録されていましたが、私にはその日はA面だけですっかり満足してしまったのです。

 旧ソ連時代から伝説のピアニストと呼ばれ、西側諸国でコンサート活動を行うようになったのは1960年以降でした。それでもリヒテルが20世紀最大のピアニストであることに異を唱える人はいないでしょう。しかし私が呼吸が止まりそうなほどの興奮をおぼえたのは、偉大なピアニスト、リヒテルの名演に感動したからだけではなかったのです。30数年ぶりにターンテーブルにのせたレコードそのものが、ある記憶を呼び起こすことになったからです。

 レコード蒐集家に尋ねればすぐにこのレコードが何年に発売されたものなのかわかるのでしょうけれど、あえて私は自分なりに昔の記憶を頼りに推理することにしました。まずリヒテルではなく、リフテルと書かれている時点でこのレコードがかなり古い年代のものであることがわかりますが、それは何年のことか。私はこのレコードが発売されたのはリヒテル(当時はリフテル)が初来日した1970年とみました。実は、レコードを聴いているうちにふと自分が母に連れられてその時のリサイタルを鑑賞したことを思い出したのです。

 当時、私はまだ小学生でしたが、幼いころからピアノを習っていたこともあって、母は当時、大きくニュースでも取り上げられたリヒテル来日の報道を見て、チケットを購入したのでしょう。本番の前に一枚リヒテルのレコードを聴いておこうと思い、このレコードを買ったのです。

 記憶とは不思議なもので、一度、その時の情景を思い出すと次々とそれに付随することも思い出すものです。私が聴いたリヒテルの公演は日比谷公会堂での演奏で、曲目としては初めにシューベルトシューマンの曲を演奏して、2曲目はムソルグスキーの曲でした。曲名までは覚えていませんでしたが、一曲目はともかくもムソルグスキーの曲を演奏したことだけは鮮明に覚えていました。あとでネットで調べてみると、確かに初来日に日比谷公会堂シューベルトではなくシューマンの交響的練習曲を演奏し、次にムソルグスキー展覧会の絵を弾いたことが判明しました。

 当時、音大のピアノ科の女子学生に個人レッスンを受けていましたが、コンサートのことを話すと先生は、どの曲が気に入ったのかしら?と質問して、私は即座にムソルグスキーです!と答えました。もう49年も前のことなのに、リヒテルの生演奏を聴きに行ったことやピアノの先生に質問された内容まで覚えているなんて、驚きです。

 あの時のリヒテルの激しい打鍵をもう一度聴こうと思い、名演の誉れ高い1962年のカラヤン指揮、ウィーン交響楽団と共演した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。リヒテルがピアノを叩き壊すのではないかと心配になるほどの激しい打鍵を味わいました。ガーン、ガーン、ガーンと弾くあの打鍵の迫力を聴いているうちに、何だか私の鬱々とした心に凝り固まり張り付いた不純物が少しずつ剥がれ落ちてくるような気持ちになったのです。

 リヒテルのピアノはこころの鬱を弾き飛ばしてくれます。まさしく鬱に響くリヒテルの打鍵をあなたも是非とも実感して下さい。蛇足ですが、以来、リヒテルのCDを狂ったように買い漁る日々を送っております。御茶ノ水駅近くにあるディスクユニオンのクラシック専門店で旧ソ連製の中古レコードまで手を出す始末です。