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奇跡の幕尻優勝でも「徳勝龍」の気配り「下剋上」

 大相撲千秋楽の結びの対決で、貴景勝を寄り切りで下し、見事に優勝を決めた徳勝龍。西前頭17枚目の力士が奇跡の優勝を果たしたのです。行事軍配が西に上がった瞬間、顔をくしゃくしゃにして男泣きした姿には、思わずもらい泣きしてしまいました。

 

 

 それにしてもいくら横綱不在の場所でも、西の幕尻から勝ち抜いていくことは至難の業だったはず。これまで三役の経験すらないのに、いきなり優勝が懸かる千秋楽の大一番で、大関を堂々と寄り切りで破るとは、大した度胸です。相撲解説者が言うには、これまでの徳勝龍は幕内と十両を行き来するような力士だったのですから、今場所の徳勝龍はまるで別人のような強さです。史上最大の下剋上と言われるのも頷ける、まさに神がかり的な勝利を収めたのです。

 

 

「神がかり」的勝利

 

 

 優勝を決めた後、土俵下でのインタビューの中で、優勝の感想を訊かれて、

「自分なんかでいいんでしょうか?」

 と思わず答えたのには、それがジョークに聞こえたのでしょう、会場から笑いが漏れました。でもその後、場所中に恩師、伊東勝人近大相撲部監督の訃報を受けて、お世話になった監督に恩返しをする意味で勝ちたいと思ったと語り、

「一緒に戦ってくれた気がします。弱気になるたびに監督の顔が浮かびました」

 と男泣きする姿にテレビの前の皆様もきっと胸に迫るものを感じたことと思います。

 

 

 何度も優勝経験のある横綱ならば、インタビュー慣れしていて涙すら見せませんが、徳勝龍はインタビューアーから優勝を祝福されて、四方に頭を下げて応援して下さった観客に対して謝意を示したのを見た時、気配りの出来る力士との印象を強く持ちました。幕尻力士ゆえの謙虚さなのでしょうか。優勝して有頂天になるのではなく、きちんと丁寧な言葉遣いで質問に真摯に答える姿には、インテリジェンスをも感じられました。

 

 

 「下剋上」という言葉は戦国時代に下級武士が上位を討ち取り、のし上がることをいいますが、幕尻から優勝を飾った徳勝龍には、下剋上的な勝利には違いないものの、品位ある「下剋上」だったというべきでしょう。現代的で洗練されたキャラクターの持ち主とお見受けしましたが、どうでしょうか。

 

 

 スポーツ選手には、試合に勝ち続けなければならない宿命が付いて回ります。伝統ある大相撲では、横綱を頂点に厳然たる順列があり、階級社会となっています。番付の上位の者は下位よりも偉いのです。横綱ともなると、それ以下の相撲取りにとってはまさしく雲の上の存在に他なりません。

 

 

 ところが、昨今、横綱不在の場所が増えてきて、横綱が途中休場したり、下位の関取に簡単に負けることもしばしばです。横綱の権威と実力が確実に弱体化しているように思えてなりません。それ故に、今回のような平幕力士の優勝も可能になったのです。

 

 

 権威主義の塊のような相撲界に、今回の幕尻優勝という下剋上が起こったことは、その旧態依然とした体質にひとつの風穴を開けたともいえそうです。しかも、下剋上とはいえ、将軍の首を獲ったと小躍りするのではなく、周囲への気配りも忘れずに、極めてスマートで静かにクールに優勝の喜びを示すことのできる力士がいたのです。封建的な相撲社会にあって、これはちょっとした驚きです。

 

 

 優勝した徳勝龍は、多分にリップサービスのつもりもあったのかもしれませんが、今後、さらに上を目指したいとの抱負を語りました。でも失礼ながら、33歳という年齢では今後もさらに大活躍が出来るかと言えば、なかなか厳しいのが現状でしょう。実際に、33歳での優勝は相撲の歴史の中でも3番目の高齢記録だそうです。

 

 

 恩師の魂が徳勝龍に乗り移り、彼に優勝をもたらしたのは、おそらく今回限りのことだと思います。何度も起きないことだからこそ奇跡なのです。33歳にして夢のまた夢であったはずの優勝が果たせたのは、「下剋上」には違いありませんが、たった一度きりの奇跡かもしれません。

 

 

 他人を思いやれる気配りの力士、徳勝龍の優勝は、戦国の乱世を思わせる「下剋上」とは少々趣は異なり、場所中に惜しくもこの世を去った恩師が与えてくれた奇跡という名の最高の「プレゼント」だと思うのです。幕尻優勝という「奇跡」を私たちは目の当たりにしたのです。