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『水曜どうでしょう』新旧を見比べてわかったこと

 およそ6年ぶりとなる『水曜どうでしょう』の新作が只今、OA中です。前作はロケ隊を従えてアフリカ大陸へ渡り、野生動物保護区にあるセレンゲティ国立公園でのロケを敢行するという大掛かりなものでした。『初めてのアフリカ』というタイトルで、チーフディレクターの藤やんこと藤村忠寿の個人的な嗜好を企画にした、動物と大泉洋という感じの内容でした。番組の初めには、キリンやライオンなどを見るたびに大はしゃぎしていましたが、やがて野生動物を見飽きてしまい、最後にはやっぱり「大泉洋」の方が面白い!というオチが付きました。

 

 

待望の新作の出来は

 

 

 それから6年を経てようやく今回の最新作がOAの運びとなりましたが、さてその出来については賛否両論があります。第三話目にして、ようやくミスターこと鈴井貴之の別荘地に高床式のコテージを建設するということが明らかになりました。近作では、やたら前置きが長くなる傾向があるようです。でもまあ、『水どう』ファンにとっては、そうしたダルい演出も面白く感じるのかもしれません。

 

 

 ファンにとっては待ちに待った新作の登場ですが、東京MXやテレビ神奈川などでは毎週『水曜どうでしょうClassic』(どうクラ)が放映されています。しかももう一巡どころか二回りも三回りも繰り返しOAするのですから、水どうファンがいかに多いのかが窺えます。

 

 

 かく言う私も水どうファンの一人で、何回も見ているはずなのに、『どうクラ』にチャンネルをつい合わせてしまいます。初期の頃の作品では、大泉もミスターも若く実に初々しく感じます。何しろ1996年に放送開始した番組ですから、お二人とも若々しくて当然ですね。とくに大泉はその後、北海道限定の人気タレントから今や押しも押されもせぬ大スターに成長しました。映画に連ドラに大活躍中なのはご承知の通りです。主演ドラマ『ノーサイド・ゲーム』ではチームのGM役を熱演して好評を博しました。個人的には、どうしても『水どう』のあの天然ぶりに慣れ親しみ過ぎたせいか、役者としての大泉の”演技”している感がどうも気になってしまうのですが…。

 

 

 ともあれ、新作が鑑賞できることは「水どう」ファンにとっては実に喜ばしいことです。何しろ20年以上経ってもいまだに新作が制作されること自体、非常に稀なことです。そして、その新作ですが、相変わらずのグダグダぶりで笑わされますが、大泉やミスターの年齢的なことも関係しているのか、過剰なまでにグタグタ感が横溢しているのです。それをどう見るかで、意見が分かれるところです。

 

 

 基本的に旅番組的バラエティですが、今回は彼らのルーツである北海道が舞台で、サイコロの旅やカントリーサインの旅のように移動し続ける内容ではありません。『シェフ大泉、夏野菜スペシャル』とか『車内でクリスマスパーティ』などの旅モノ以外の作品もあるにはありますが、やはり旅の珍道中ぶりを面白がるというのが、同番組”らしさ”でもあります。それをあえて、外したのは一つの冒険かもしれません。

 

 

『水どう』は一区切りか

 

 

 いつもの『水どう』を見慣れているファンからすれば、北海道に固定した内容には物足りなさを感じるかもしれません。もう彼らもいい年だし、そろそろ移動続きの旅は体力的にきつくなってきたのでしょうか。原付バイク旅シリーズの『原付日本列島制覇 東京ー紀伊半島ー高知』の最終回でミスターがいみじくも言った「もうそろそろ自分たちで何かやるのは、きついですね」というのは本音なのでしょう。

 

 

 大泉が番組内で「一生どうでしょうします!」と宣言したように、これからも視聴者が望む限り、同番組は続くことでしょう。期待したいところです。でも、敢えて言います。今回の新作で、彼らの原点でありルーツの北海道に戻ってきたというのは、やはりそろそろこのあたりで幕引きを考えるようになったのではないかと思えてならないのです。これまでオーストラリアに始まり、アメリカ合衆国、ヨーロッパ、アラスカにアフリカまで旅してきて、最後には自分たちの故郷に戻ってきました。これは番組としてのひとつの区切りを象徴しているかのようです。

 

 

 いまだに全国の地方局では毎週『水どうClassic』を放映していますが、先日、初期の頃の作品を見ているうちに、あることに気付きました。『東京二泊三日 70キロ』を見て感じたのは、まず彼らの若さとバイタリティは絶対に近作にはないということ。それは仕方がないことです。20年以上も前の収録ですから、若いのは当たり前ですし、若いからこそバイタリティもあるわけです。でも同時に、あの頃の『水どう』こそ本来の面白さなのだということに思い当たったのです。

 

 

 その後、一旦、レギュラー放送が終了して、以降は数年に一度という寡作ぶりです。新作がOAされるまでの年数が長くなればなるほど、番組自体も出演者の年齢と一緒に年老いていきます。20年も前の作品にある「本来の面白さ」は今は希薄になりました。元気に動き回ることが出来なくなった代わりに、グダグダ感だけがいや増した印象があります。

 

 

 大泉が二日酔い気味で登場して、それを笑い、白いニッカポッカに笑い、プロの大工がロケの直前に大けがをしたことを話題にして呆れたり、等々。雪上での撮影のため、フットワークの悪いカメラアングルが続きます。その間、大泉と藤やんが二人ではしゃぐ様が延々と続きます。これも『水どう』らしさといえばそうなのかもしれません。でも、レギュラー放送時代のグダグダ感とは、根本的に質が変化しているように思えるのです。

 

 

 私自身が見たのはまだ第三話までですが、これから先もまあこんな調子の内容が続くのでしょう。昔からの”コア”な水どうマニア(どうでしょう藩士という)ならば、こうした演出自体をも楽しむことが出来ます。でも今回の新作を初めて見た視聴者は、果たして番組を楽しめるのでしょうか。まあ、腐っても鯛の諺のように、腐っても『水どう』ということなのかもしれません。皆さんはどう思われますか?