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これで「豪華クルーズ旅」を諦める「理由」ができました

 もしも時間とお金に余裕があったら、一度は豪華クルーズで世界一周の旅をしてみたい。そんな”夢”を打ち砕くに十分な事件が今、横浜港で起きています。大型クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス」では、香港からの乗船客が新型コロナウィルスに感染していたために、船内で一気に感染が拡大したのです。クルーズ船内だけで7日現在、61名もの感染者が確認されましたというのは、実にショッキングなニュースです。客船は横浜の大黒ふ頭に接岸したものの、少なくとも14日間は乗客の上陸は禁止されます。「夢の豪華クルーズ旅」が”悪夢”と化したのです。

 

 

暗転した「豪華クルーズ」

 

 

 大型クルーザーによる船旅は、かつては富裕層だけに許されるお金の掛かる道楽でした。ようやく日本人の間に海外旅行が流行し始めたのは、昭和40年前後からでしょうか。もちろん、豪華クルーザーではなく、飛行機でハワイ辺りに行くわけですが、「ハワイ旅行」は当時、庶民にとっては贅沢この上ない豪華旅行でした。一生に一度の思い出にと新婚旅行を海外で過ごすカップルが多くなったのは、わりと最近のことです。以前は、新婚旅行は国内に決まっていました。熱海や箱根あたりの温泉ホテルに2泊3日くらいの日程がせいぜいでした。ましてや、大型の豪華客船に乗って新婚旅行などというのは、夢のまた夢だったのです。

 

 

 今では、ジャパネットでも大型クルーズ船の旅を企画して割安に販売するなど、以前よりはずっとクルーズ旅はポピュラーなものになりました。それでも、同じ東南アジアを旅行するのならば、格安のツアーが多種多様にありますし、そちらの方がクルーズよりもずっと安上がりです。ましてや、LCCを利用すれば、箱根の温泉宿に宿泊するよりも安いことさえあります。

 

 

 ひと昔前の大型クルーズ船の旅に較べれば、現在のツアー料金は随分と値段が下がったようです。誰でもとは言えませんが、少しお金と時間を融通できる方ならば気軽に参加できるグルーズツアーも少なくありません。

 

 

 横浜のふ頭で足止めされている、ダイヤモンド・プリンセスも比較的安価なツアー料金で参加できるもののようです。当然ながら、日本人客が大多数を占めています。せっかく一生に一度の経験と意気込んでプリンセス号に乗船したものの、その期待は無残に打ち砕かれてしまいました。部屋のタイプはピンからキリまででしょうが、一番安い部屋はいわゆる船底的な窓のない部屋です。そこに部屋からでさえ出入りを制限されて、缶詰にされてはたまったものではありません。

 

 

「航海」で後悔したくない

 

 

 飛行機が発明される以前には、海外に渡航するには、船旅しかありませんでした。むろん、ユーラシア大陸のような広大な面積を有するところでは、シベリア超特急のような鉄道で移動することもできますが、海を渡って行くには客船に頼るしかなかったのです。海外からの物資を輸送する際には、大型タンカーが活躍しているのはご承知のとおりです。

 

 

 映画『タイタニック』でデカプリオ演じる主人公の貧乏青年がアメリカという新天地を目指して、ポーカーに勝ちまんまと乗船券を入手して乗り込んだのが、船底の大部屋でした。一方、ケイト・ウィンスレット演じるヒロインは、大富豪との婚約旅行でしたから、最も豪華な特別室に滞在していました。貧乏青年と富豪の妻となるヒロインが運命の出会いをするわけですが、まあご覧になった方も多いことでしょうから、割愛させていただきます。船賃の違いにより、乗客の待遇も雲泥の差があります。映画でもその辺の状況について、詳細に描かれます。大型船に限らず船というところは、非常に特殊な空間です。言ってみれば、ミニ国家のようなところで、船長以下、乗務員にも階級がありますし、乗船客も同様に格差があります。

 

 

 大ヒットした『パイレーツ・オブ・カリビアン』でもキャプテンを頂点に、以下の下々の船員たちがいます。キャプテンの命令には絶対服従です。幽霊船で船長のデイビー・ジョーンズに奴隷のようにこき使われるターナーがまさにそうです。

 

 

 海賊船ですら完全なる階級社会ですから、普通の船でも規模の大小にかかわらず、キャプテンの命令には従わなければなりません。ミニ国家というのは、そのことです。キャプテンはどこかの独裁国家国家元首と同様に船内でのあらゆる権力を有するのです。

 

 

 そうした特殊な世界観は文学作品にも見られます。ハーマン・メルヴィルの代表作『白鯨』では、義足を付けたエイハブ船長が己の恨みを晴らすために、船員たちの生死よりも一頭の白鯨を追いかけ、仕留めようとします。広大な海に浮かぶ船はまるで頼りなく、容赦なく荒天に翻弄されるがままです。

 

 

 この小説は、実のところ、『カリビアン』のような冒険譚を期待して読むと退屈してしまいます。エンタメ的な要素はほとんどなく、船内や海の様子、右往左往する船員たちの醜さが延々と描かれ、最後の最後になってようやく白鯨が登場します。海と無力でちっぽけな人間、白鯨が象徴するものは何なのか。考え込んでしまいます。なかなか難解な小説です。神の作り給うた大海原とそこで翻弄される人間との対比が作品の主要部分です。多分に宗教的な小説といえそうです。

 

 

 『白鯨』に話が逸れてしまいましたね。大航海時代の昔から航海は命がけのものでした。時化で船が荒波にのまれて沈没してしまうこともめずらしくありませんでした。タイタニックも処女航海で氷山に追突して、無残にも沈没したのです。ダイバーたちがこぞってそうした沈没船スポットに行きたがりますが、気軽に潜れる沈没船もあれば、タイタニック号のように深海に沈んでしまったために、つい最近までその姿が確認できなかったものまであります。今ではレーダー探知機など安全な航行が出来るようになりましたが、それでもやはり航海には危険が付きものなのです。それは今も昔も変わりがありません。何しろ洋上に浮かぶ密室空間では、今回のような感染性の病気が蔓延しても容易に船外に逃げ出すことは出来ないのです。これが一番怖い。

 

 

 今回の新型コロナウィルスの船内感染が確認されたダイヤモンド・プリンセス号の乗客も、本来ならばパラダイス気分を満喫できたはずなのに、ウィルスが蔓延する船内に強制的に留め置かれてしまいました。これは「悪夢」という他ないでしょう。私も実は、流行りの豪華クルーズの旅に出てみたいという「夢」がありましたが、これで諦めがついたような気がします。諦める理由が出来たと言う方がより正しいでしょう。第一、そんな優雅な豪華客船の旅などに参加するだけの”余裕”もありませんしね。まあ、伊豆辺りの温泉に一泊した方が、無難で安心かもしれません。