明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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「コロナ対策」で無残に刈り取られる「花畑」に心が痛みます!

 新型コロナウィルスの拡大を抑えることは、喫緊の課題には違いありません。でも、感染対策のためにお花畑が無残にも刈り取られるというのは、如何なものでしょうか。

 

 

「花畑」の消滅

 

 

 埼玉県久喜市菖蒲地域で毎年6月に開かれる「あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル」の中止を受けて、先月末からラベンダーや花菖蒲が開花前にすべて刈り取られたのです。その数、約3万株。同フェスには、昨年は17万人の人出で賑わいましたが、今年はコロナ対策のために中止にした上、花見客が集まらないようにと花畑自体をなくしてしまったわけです。

 

 

 緊急事態宣言が全国に発令され、不要不急の外出の自粛を要請されましたが、先月末にようやく全面解除となり、それまで自粛していたこと徐々に段階を踏みつつ、緩和されるようになりました。もちろん、感染の第二波に対する備えは万全にしなければなりませんが、専門家会議が提唱する「新しい生活様式」に則りながら、私たちは「新型コロナウィルス」について多くのことを体験しました。外出時にはマスクを着用すること。また、これから本格的な夏の到来を前に、熱中症と感染予防の二つを両立させること。三密を避けるために、ソーシャル・ディスタンスを取ること等々。私たちの経験値は確実に上がりました。

 

 

 むろん、未知のウィルス故にまだまだ油断できませんが、これまでの経験から学んだことを私たちは日々、実行に移しています。三密という言葉はもはや国語辞典に掲載されてもおかしくないほどに、広く認知されるようになりました。いかにウィルスに感染しないように生活していくか。経験値の高い私たちなら、今後段階的に制限が解かれる事柄に対して、きちんと対応できるだけの知識があるのです。

 

 

 とはいえ、ごく一部の人々が今、問題になっている「夜の街」で新たに感染するケースが増えているのも事実です。小池都知事と西村大臣が専門家の意見を参考にして、今後、「夜の街」用のガイドラインを作成することになりました。

 

 

 三密を避ける方法についても私たちは経験的に学びました。密集、密接にならないように人と人との距離(ソーシャル・ディスタンス)を取ることもその一つです。それは駅や交通機関、繁華街などでも意識するようになりました。自分勝手な行動が感染リスクを高めることも、ごく一部の例外を除いて、自覚があります。

 

 

 ライブハウスのように大勢の人々が屋内に密集するようなことは、もうなくなることでしょう。カラオケも歌い手と他の人との距離を十分に取れば、大丈夫です。映画館もソーシャル・ディスタンスを保つために満席にならないようにしています。居酒屋も隣席との間隔を十分に取り、扉や窓を開放して換気を心掛けています。こうした「新しい生活様式」は自然に私たちの日常に取り入れられるようになりました。

 

 

 最高気温が30度近くまで上昇する暑い日中には、野外でソーシャル・ディスタンスが十分に確保できる環境ならば、マスクを外しても良いことになりました。換気が必要な屋内とは違い、野外では十分に注意すればマスクなしでも大丈夫です。公園でも人との距離が十分に確保できれば、感染リスクはかなり低くなります。不要不急の外出の自粛はかなり緩和されました。「コロナ太り」という言葉がありますが、ようやく表に出て運動をしたり、出かけることが出来るようになったのです。

 

 

高い「民度

 

 

 「コロナ禍」ではとかく暗くなりがちです。自宅に閉じこもっていた頃に心もすっかり縮こまってしまいました。そろそろ心も体も解放しようではありませんか。もちろん、「新しい生活様式」に即してという条件は付きますが…。

 

 

 花菖蒲、あやめ、ラベンダーの咲き乱れる花畑にも出かけたいものです。自宅待機の日々からようやく解放された今こそ、広々とした花畑でお花を愛でたいと誰もが思います。久喜市菖蒲地域で開催される予定だった「あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル」の中止は致し方がないものの、人が集まるからという理由で花畑そのものを刈り取ってしまうとは、乱暴すぎやしませんか。今や経験値を上げた私たちなら、三密にならないようにお花を楽しむ方法は必ず見つかるはずです。人が集まるからといって、根こそぎ花を摘み取ることはなかったのです。

 

 

 何々フェスというようなイベントに参加するのではなく、個人的にお花を愛でるために出かけることまで禁止する必要はあるのでしょうか。三密を避ける方法ならもうとっくに学習済みなのです。規律を重んじる日本人ならば、感染リスクを高めるような鑑賞の仕方はしないでしょう。きちんとソーシャル・ディスタンスを保ち、マスクを着用して出かけます。温室ではなく野外ですから、なおのことリスクは低いはずです。麻生副総理が「民度」について言及しましたが、その通りです。花畑を消滅させた方々はそれなりに理由があってそのようにしたのでしょうが、もっと日本人の民度の高さを考慮しても良かった。

 

 

 『花はどこへ行った』という歌を思い出します。アメリカンフォークの父・ピート・シーガーの作です。ピーター・ポール&マリーのカバーが特に有名です。こんな歌詞です。

 

花はどこへいってしまったの

ずっと昔に

花はどこへいったの

少女たちがみんな、摘んだよ

少女たちはみな、どこへ行ったの

男性たちのもとへ行った

(中略)

男性たちはどこへ行ったの

一人一人兵士となって

ずっとずっと昔に

すべての墓はどこへ行ったの

一人一人、花にお別れして

彼らはいつ学ぶのでしょう?

 

 花の命と、兵士となって戦地に散っていった若者たちを重ね合わせた内容の歌です。「コロナ対策」で無残にも摘み取られていった花々を思うと心が痛みます。どうかもうこれ以上、お花たちを摘み取らないでほしいと願わずにはいられません。