明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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「コロナ禍」での帰省を阻む「自警団」の恐怖

 帰省するか、しないか。それが問題だ。かのシェークスピアでさえ、今年の「特別の夏」には大いに悩んだに違いありません。

 小池都知事の発言を待たずとも、全国で新型コロナの新規感染者数が5万人を超えた10日現在、日本人の誰もが「特別の夏」を意識せざるを得ません。因みに3日には4万人でしたから、わずか一週間で感染者が1万人も急増したことになります。東京都の新規感染者数は197人と2週間ぶりに200人を割り込みましたが、依然として感染拡大に歯止めが掛からない状態が続いています。

 

 

「感染リスク」と「帰省リスク」

 

 

 経済再生を最優先したい政府は、感染の第二波の兆しが見え始めたにもかかわらず、「Go Toキャンペーン」を展開し、このお盆休みについても、帰省の自粛を要請する考えはありません。全国一、感染者数の多い東京都では、小池都知事が国の方針とは真逆の「帰省の自粛」を要請しました。

 都民にとっては、一体、どちらの方針に従えばよいのか、非常にわかりにくい。道行く人に今年の夏に郷里へ帰省するかどうか、問うたところ、帰省したい気持ちはあるものの、やはり高齢者のいる郷里へ帰ることには躊躇せざるを得ない、という意見が多いようです。

 

 

 成長した孫に会いたいという郷里のご両親や親戚の方々のことを思えば、何とかしてあげたいと誰もが考えますが、家庭内感染が問題になっている中、なかなか帰省に踏み切れません。苦肉の策として、おじいちゃんやおばあちゃんが東京へ孫を迎えに来て、孫だけを帰省させるというケースもあるようです。思い切って帰省する方も、今年の帰省は見送ることにした方も、皆さん、つらい胸中を抱えているのです。

 

 

 帰省を決めた方々も、事前にPCR検査を受けて自分が感染していないことを確認したり、実家のご両親が感染しないようにありとあらゆる努力も惜しみません。帰郷後も飛沫感染を極力避けるために、食事は時間差でとるなどという方もいらっしゃいます。

 例年ならば、親戚一同が実家に集まって、ご先祖様の墓参りをしたり、賑やかな食事を楽しんだりするところですが、「コロナ禍」の中にあってはそうした行事はほとんど出来ません。一家そろっての楽しい団欒のひと時さえも奪ってしまった「新型コロナ」が本当に憎い。

 

 

「自警団」の恐怖

 

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 感染リスクを出来得る限り抑えるために努力と工夫を重ねた上で、ようやく帰省したというのに、都会からの帰省者がいることを嗅ぎつけた「自警団」が、迷惑だから早く帰れなどと書きなぐった匿名のビラを玄関先に投げつけるという事件がありました。

 郷里の両親に孫を会わせたいという気持ちから、感染防止策を十分に配慮した上で帰郷した、親思いの人々に対して、何たる”非常識なクレーマー”でしょう。緊急事態宣言の最中にパチンコ店に出入りする連中と、感染防止策を十分に取った上で帰省する人々との違いすら理解できないのでしょう。いっぱしの「自警団」気取りには、胸が悪くなります。

 

 

 そうした「自警団」もどきはどこにでもいます。以前、このブログでお話ししましたが、通勤電車内で新聞を折りたたみながら読む中高年の会社員に対して、いきなり「ガサガサ、うるせぇんだよ!」と口汚く罵った30代くらいの会社員を目撃したことがあります。新聞を折りたたむ際に発生する音が果たして、それほど迷惑な雑音なのかどうか、甚だ疑問に感じたものです。そのクレーマー氏も自分の主張がすべて正しいとの固い信念に基づいて抗議したつもりなのでしょう。こうした”輩”を「自警団」と言うのです。

 

 

 渋谷のセンター街や新宿歌舞伎町などの繁華街を警察や行政機関とは関係のない、民間人組織が見回りをするという光景を見かけたことがあります。そうした人々の多くは商店街の関係者で、悪質な客引きなどの迷惑行為がなくしたいがために、「自警団」を組織して街の安全を守ろうとする善意ある人々です。一概に「自警団」を悪者扱いするつもりはありません。

 

 

 しかし、いくら善意からの行為であっても、行き過ぎた規制を強要することは許されません。今回、青森県で起きた帰省者のあるお宅の玄関先に「迷惑だから早く帰れ」という内容のビラを撒くことは、行き過ぎた行為に他なりません。

 そのビラの製作者にしてみれば、コロナ感染を防ぐためという大義名分のもとに行った抗議活動のつもりかもしれません。でもそれはまったく間違った考え方です。それは善意などでは決してなく、悪意そのものです。そのような行為は決して許されるべきではありません。

 

 

 善意というの言葉の解釈は、実はかなりアバウトで、時として善意と思ってしたことが悪意にしか映らないことは多々あります。善意と悪意の違いは、紙一重なのです。それだけに独りよがりの身勝手な解釈で”善意”を行おうとすれば、たちまちそれは”悪意”に変わってしまう恐れがあるのです。

 

 

 アメリカのフォークシンガー、ウッディ・ガスリーの曲に『Vigilante Man(自警団の男)』という曲があります。

 自警団の男をみたことがあるかい?

 その名前は国中に轟いているよ

 自警団ってどんな人たちなの?

 手には銃と鉄パイプを持っているの?

 雨の日に僕らが小屋の中で静かに寝ていたら、

 その男がやってきて、雨の中、僕らを追い出したんだ

 あれは自警団だったのかな

 

 歌詞にはまだ続きがあって、労働組合を組織しようとした人物が何者かに殺さされて、川に投げ捨てられた、あれも自警団の仕業か、などと言った過激な内容です。

 この歌に出てくる自警団はもちろん、アメリカ社会での自警団のことですが、「コロナ禍」で人心が荒廃してゆけば、日本でも「自警団」が各地で暗躍するようになり、自分勝手な正義を振りかざすようになるかもしれません。善意が善意のままであるためには、強い自制心が伴わなければならないことを忘れてはなりません。

 「早く帰れ」というビラを撒くような人は、紛れもなく「自警団」予備軍なのです。