明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

中曽根元首相「合同葬」に異を唱えるのは何故か?

 昨年11月29日に101歳で亡くなられた中曽根康弘元首相。17日に東京・高輪のグランドプリンスホテル新高輪にて「内閣・自民党 合同葬」が営われ、菅総理を始め三権の長や財界人など640名が列席しました。

 

 

 享年101歳というご長命もさることながら、日本の最高勲位にあたる大勲位菊花章頸飾を授与されたただ一人の政治家でもあり、日本の憲政史上、特筆されるべき人物であることは言うまでもありません。ここで中曽根氏の業績について論ずることは差し控えますが、スケールの大きな政治家とだけ申し上げておきます。

 

 

さっそく出た「異論・反論」

 

 

 菅内閣が発足してまだ日が浅い現在において、今回の「合同葬」は総理にとっても大きな行事だったに違いありません。お立場上、ご列席することはありませんでしたが、秋篠宮殿下の名代も列席されての一大イベントですから、相応の費用が掛かります。額にして9650万円。故中曽根氏のご遺族がその費用を私費で賄えるはずもありません。過去の前例に従い、公費を支出することとなりました。

 

 

 さらに政府は、合同葬当日に各省庁では弔旗を掲げ、黙祷することを閣議了承し、広く哀悼の意を表するために加藤官房長官名でその旨の通知を出しました。その趣旨に沿う形で、羽生田文科相は国公立大や私立学校などに協力を要請したのです。

 

 

 さっそく「異論・反論・オブジェクション」が沸き起こったのはご承知の通りです。まず一部のマスコミが加藤官房長官に、法律で定める学校は特定の政党を支持または反対の政治活動をしてはならないとする教育基本法第14条に違反するのではないか、と詰め寄ったのです。

 この詰問に対して加藤氏は、一国の元首相の逝去に対してひろく哀悼の意を示すように協力を求めたのであり、特定の政党を支持する政治活動には当たらず、教育の中立を侵すものではない、と冷静に対応しました。

 

 

 野党では共産党がいち早く、国家が事実上弔意を強制することがあってはならないと反発しましたが、これはいつものことですから、今更驚くに値しません。驚いたのは、共産党の反論に沿う形で、一部の大学と学生が反旗の狼煙を上げたことです。大学の自治を侵す行為だとして、反対の集会やデモが各地で行われたのです。

 

 

 琉球大学では弔旗を掲げることすら拒みました。その他の大学でも弔旗への協力に対して、個々人の自由に反するものと批判的な見解を述べる学生も少なくありませんでした。

 大勲位を授与された政治家の死に対して、哀悼の意を表することがなぜいけないのでしょうか。たとえ文科省からの通達がなくても、日本のみならず世界的にもその功績が広く認められた、元総理大臣の死に際して、哀悼の意を表さない理由は一体、どこにあるというのでしょうか。

 

 

「政治介入」か?

 

 

 安倍前政権の継承として新たに発足した菅内閣ですが、わずかひと月余りの間で支持率は約8パーセントも下落しました。その要因のひとつに、例の学術会議問題があります。推薦された6名の学者に対して、政府が拒否した件です。任命を拒否したことの説明責任を果たせと野党はまるで鬼の首をとったような勢いです。昔の担当官僚の国会答弁まで持ち出して、当時の発言と矛盾すると言うのです。

 

 

 学者の一部には、学問に対する不当な政治介入だと息巻いている方もいらっしゃるようですが、学術会議自体が国の予算で運営されているというのに、国の介入も何もないではありませんか。もし本当に”政治介入”されたくないのならば、国の予算に頼らずご自分たちですべて運営すれば良いのです。それでも、あらたな推薦者に対して政府が”介入”することがあれば、確かにそれは「政治介入」に違いありません。

 

 

 国の政策を考えるうえで、専門家からの意見を参考にするためにあるのが学術会議の本来の目的のはずです。学術会議のメンバーに曲学阿世の徒が混じっては困るのです。今回の「任命拒否」組の過去の”言動”をよくよく検証すればわかることです。しかし彼らとそのシンパはこう言います。任命拒否は学問への政治介入だと。果たしてそうでしょうか。

 

 

 それを言うなら、中国やロシアなど社会主義国の場合はどうでしょうか。日本は世界でも数少ない、言論の自由が保証される国の一つです。ひとつの意見・議論に賛成の意を表すことも、否定することも認められています。任命拒否も認められてしかるべきです。

 

 

 そもそも何かというと「政治介入だ」と主張すること自体、如何なものでしょうか。”本当”の政治介入とは、そんな生易しいものではないはずです。政府に反対しただけである日突然、軍や警察がやってきて理由も告げずに投獄されてしまう…。そんな暗黒社会は現に存在するのです。ひとたび反乱分子のレッテルを張られたら最後、強制収容所に入れられ生きて出ることは出来ません。

 

 

 大勲位を冠した大政治家が亡くなり、その死を悼むことのどこがいけないのでしょう。一般人でさえ100歳を超えると、自治体などからその長寿を称える表彰状が授与されます。101歳という長寿を全うした、中曽根元首相に哀悼の意を国公立大学や私学が表することに何故、異を唱えなければならないのでしょうか。何故「政治介入」に当たるのか、理解に苦しむばかりです。

 もしかしたら菅内閣を貶めようという「悪意」がそうさせているのかもしれません。学術会議問題に続き、「合同葬」も内閣の支持率を下げんがための”材料”にしようとしているのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話を「合同葬」に戻しましょう。