明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「荒天」の時こそ「自分時間」を満喫するチャンス!

 春の陽気はまったく気まぐれです。日中の気温が20度を超え初夏のような陽気の日の翌日には嵐のような強風が吹きすさび、にわか雨に降り込められたり。例年になく桜の開花が早かった分、満開になった途端に春の嵐に見舞われて、儚くも短い桜の季節はすでに終盤に向かいつつあります。

 

 

「傘」はあれども…

 

 

 平安時代に編纂された古今和歌集の選歌、在原業平の有名な短歌。「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし」という有名な歌に込められた心情には大いに共感できます。でも「コロナ」下のご時世にあっては、桜を愛でることさえままなりません。きっと業平も草葉の陰で嘆いていることでしょう。

 

 

 折角の週末。ましてや2か月半にも及んだ緊急事態宣言を経た後の貴重な春の週末です。相変わらず新規感染者数が高止まりどころか、リバウンドの兆候すら見え始めた今日この頃、満開の桜を観賞するどころではない春の嵐の日曜日をどう過ごせば良いのかと頭を悩まされた方も少なくなかったはずです。

 

 

 「都会では 自殺する若者が増えている

  今朝来た新聞の片隅に書いていた

  だけども問題は今日の雨 傘がない」

 

 

 ご存知、井上陽水の有名な『傘がない』ですが、傘くらいはその辺のコンビニで買えばいいじゃないかという突っ込みは無用です。この曲が世に出た1972年当時、大学紛争の喧騒も峠を越え、若者たちが「生きる」ことの意味を模索しようともがき苦しんだ時代でもありました。そうした世相の中、引用の歌詞に続く、「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ」という部分は実に意味深ですね。

 

 

 鎌倉時代末期から南北朝時代に生きた文化人。吉田兼好。今でいうエッセイストといったところでしょうか。日本の古典文学における三大随筆の一つとされるのが、かの『徒然草』です。

「つれづれなるままに 日くらし 硯にむかひて 心の移りゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」

 という書き出しはあまりにも有名。実際には、詩吟をしたり、古典文学についての考察もあったりとなかなかバラエティに富んだ内容になっていますが、「つれづれなるままに」をタイトルにした点には卓越したセンスを感じさせます。これがもしも、最終章の内容に沿ったタイトルだったら、もしかしたらこれほど高い評価は得られなかったかもしれません。

 

 

 文学史に燦然と輝く「名作」とは言えずとも、筆者が10代の頃に盛んに読み漁った片岡義男の短編集『人生は野菜スープ』では、兼好法師とは正反対に作中の登場人物の女の子が最後に放った言葉がそのままタイトルになっています。

 無軌道な男女二人は逃避行の途中でとある大衆食堂に立ち寄ります。そこであれこれ注文した後、ふと思い出したように「それと、野菜スープ」と言うのです。思い付きで追加注文したメニューの野菜スープが、彼らの人生なりその後の行方を暗示しているとの深読みも可能ですが、多分、作者は熟考の末に投げやりで他意のなさそうな言葉を作品のタイトルにしようと思ったのでしょう。

 果たして野菜スープが人生を象徴しうるのか否かの判断は保留しますが、妙に印象的なタイトルだと思います。さすがは片岡ワールドです。

 

 

「自分時間」の過ごし方は?

 

 

 徒然なるままに…よしなし事をそこはかとなく 書きつくるうちに、筆者もまた「あやしうこそものぐるほしけれ」という気がしてきました。こんな「荒天」の時こそ、兼好法師まではいかなくとも、存分に「自分時間」を楽しみたいものです。

 

 

 紀行文をものしようとするならばやはりどこかへ出かけなければならないでしょう。随筆(エッセイという方がしっくりきますね)はどうか。どうもそこまで形而上の考察に更けるほどの哲学は残念ながら持ち合わせていません。そうだ。目の前には書棚があり、そこにはまだ読みかけの本や購入したまま読みもせずに放置した書籍もあります。もう一度読み返したい本もある。ならば読書して過ごそうではないかと思ったのです。

 

 

 ところが、いざ本棚から一冊を選び出してさて読みだそうとしたら、活字がぼやけて読みづらいことこの上ないのです。荒れ模様の天気では室内には十分な光が入らず、さりとて日中から読書灯に頼るのも何となく気が進みません。最初の数ページ読んだところで早々に読書は諦めました。

 

 

 次に思いついたのは、音楽鑑賞です。敬愛する20世紀最大のピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの『幻の東京リサイタル1984年3月27日』を選び出して、CDプレーヤーに載せました。ここでまたひとつ問題が発生したのです。

 問題というほどのことはないのかもしれませんが、筆者は真空管アンプの愛好家のため、このアンプがまた時として悩みの種になり得るのです。特に湿度に影響されるようで、荒天の湿気を含んだ室内では思ったような音色が出ないことがあります。オーディオチェックに使うオスカーピーターソンのCDを掛けた時、早くもこの日は十分に音が鳴らないことが判りました。

 

 

 それでも偉大なピアニスト、リヒテルの演奏ならばあの超人的なテクニックでカバーしてくれるだろうと期待して、恐る恐るプレイボタンを押したところ、ああ!やっぱり。ピアノの音に輝きがなく、ハイドンピアノソナタは耳障りにさえ感じられました。もうこれ以上、傷口を広げることは避けた方がよさそうです。すぐに演奏の途中でストップボタンを押して、CDケースに戻しました。

 

 

 そんなことをしているうちに早くも日暮れ時になりました。一体、「自分時間」はどこへ行ったのでしょうか?明日からまた仕事が始まると言うのに、私は何をしていたのか。そう自らの無為を攻めながら、貴重な日曜日はあっという間に過ぎ去ろうとしています。皆さんは日曜日の「自分時間」をどのように過ごされたのでしょうか。筆者のような失敗だけは避けられますように。