明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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4度目「緊急事態宣言」発令の効果は期待できません!

 「三度目の正直」でしくじったからといって「四度目の正直」があるとは限りません。でも「二度あることは三度ある」というから、手持ちのカードをすべて使い切った感のある政府としては「四度目」に期待するしかなかったのでしょう。「緊急事態宣言」→「期間延長」→「蔓延防止等重点措置」→「宣言」という無限ループを断ち切るにはどうすればよいのか。考えられる可能性はただ一つ。「行動制限」に踏み切ることです。

 

 

仏の顔も三度まで

 

 

 それにしても「まんぼう」も「宣言」も一体、何度繰り返せば気が済むのでしょう。10代、20代の若い世代のみならず、四度目の「宣言」発令にはもううんざりです。

 政府が初めて「宣言」を発出した時には、国民の間には「新型コロナウィルス」に対する強い危機感と緊張感がありました。当時の安倍総理が会見を行い、テレビを通じて全国民に向けて蔓延防止への協力を訴えました。安倍氏は時折厳しい表情を浮かべ、国民が一致団結してこの新たな「国難」に立ち向かわなければならない旨、熱く語り掛けたのです。

 

 

 その後の経過はご承知の通りです。戦後初の「宣言」に社会全体が強い危機意識を共有し、いわゆる「3密」を避けるなど「新しい生活様式」を実践していきました。マスクや消毒用アルコールが薬局やスーパーの売り場から姿を消すという”行き過ぎ”行為も一部に見られましたが、「COVID-19」という新たな目に見えぬ強敵を恐れるあまりの行動だったのでしょう。

 

 

 やがてマスクや消毒液の供給は十分に行きわたるようになり、「3密」回避の手段として推奨された在宅勤務や時差通勤は当たり前になりました。そのため、東京駅や新宿駅などのターミナル駅では以前のような混雑はなくなり、繁華街も閑散として、まるで巨大都市・東京は一時的にゴーストタウン化しました。

 

 

 ただし、「三密」や「ソーシャルディスタンス」が遵守されたのは、初めて「宣言」が発出された時と二回目くらいまでです。3度目の「宣言」発令時には、朝夕の通勤時間帯は以前とさほど変わらず、電車の混雑ぶりは元に戻りましたし、職域によって程度の差はあるものの社員たちが普通に出社するようになりました。

 

 

 安倍晋三氏から菅義偉氏へと総理のバトンが渡ってからは、菅総理の”口下手”のせいもあるのかもしれませんが、三度目の「宣言」発出に国民は少しも驚かず、総理の口調さながら実に淡々とした反応でした。「宣言」のリフレインにはもううんざり!なのです。仏の顔も三度まで。

 

 

「宣言」のリフレイン

 

 

 失敗は成功の母(マザー)と言いますが、こと日本の政府に関しては例外のようです。世界中で急速に拡散しつつある変異株の「デルタ株」や「デルタ・プラス」に対して日本はどれほどの感染予防策を講じているのか。よもや菅総理が海外メディアを一切見ないはずもないでしょうが、イギリスなどはどれほどこの変異株の猛威に晒されたのか、先刻ご承知のはず。先日のウガンダ選手団の件が示したように、水際対策を含めて日本政府は「安全、安心の五輪の実現」を可能にするために必要十分な感染対策をとっているとは思えないのです。

 

 

 総理は、菅内閣の各閣僚は、これまでの「宣言」発出から何を学んだのか、或いは学ばなかったのか。まるでクラブのDJがターンテーブルを回すように何度も同じフレーズが繰り返されるのみです。しかも今回で4度目ともなれば、政府の無策、無能ぶりにはあきれ果てるしかありません。

 

 

 そもそも「まんぼう」(蔓延防止等重点措置)に警戒レベルを下げた理由がわかりません。すでに危険な「デルタ株」の市中感染が確認されていたのですから。そして三度目から四度目の「宣言」へ。東京都ではたった21日ぶり!に「宣言」の対象になりましたが、その期限は8月22日まで。実に6週という長期間です。

 

 

 3度目の「宣言」には、渋谷、浅草などの繁華街の人出に増加傾向が見られました。そうした状況に、今の若者たちは辛抱が足りないとお小言を並べる、主に中高年以上の方々もいらっしゃることでしょう。でも、我慢ならないのは若者だけではないのです。大多数の国民は、まんぼう→宣言→まんぼうという無限ループに業を煮やし、今や怒り心頭なのです。一向に変わり映えのしない"会見”を繰り返すだけの総理に対して、いいに加減せよ!とヤジを飛ばしてやりたい。

 

 

 10日に新潟県柏崎市を訪れた安倍前首相は演説に立ち、次のように述べました。

 

「昨年来、色々な支援を行いながら、就職率もなんとか維持をしながら、失業率も3%くらいになんとか抑えることができている。これから(失業率が)増加に転じないように、もう一段思い切った対策を打っていかなければならない。政府与党一体となって、皆さんに政治はよくやったと思ってもらえるような、思い切った、ある意味、異次元の対策を打っていかなければならない」

 

 

 発言者の安倍氏はすでに総理の座を退いていますから、気軽に思い付きでも何でも話しやすくなったのでしょう。在任中のご自身の政策をさりげなく自画自賛しつつも、「異次元の対策を打っていかなければならない」とはよくもいったものです。一体、「異次元の対策」とは何ぞや。筆者も自画自賛するつもりは毛頭ありませんが、筆者にはその意味するところとは、つまり「行動制限」のことではないかと思われるのです。

 

 

 異論はあるかもしれませんが、日本は世界に誇れる民主国家といっても差し支えないでしょう。国民はどこかの大国のように政治思想やイデオロギーが制限されることはありません。ヘイトスピーチや明らかに悪質なネットへの書き込み、露骨な性的マイノリティへの偏見ある文書などの極端なケース以外は、基本的に言論・思想の自由が保証されています。

 

 

 好きな時に好きなところへ出かけ、好きなことが出来る。何と素晴しいことでしょうか。当然、そうした「自由」を侵害されたくはありません。しかし、戦前の日本はそうではありませんでした。徴兵制があり、国民の政治的思想や行動は極端に制限されていました。あんな時代に戻るようなことがあってはなりません。

 しかし、今は史上最悪の「コロナ禍」にあります。人類にとって未曽有の危機に瀕していると言っても過言ではありません。変幻自在な「新型コロナウィルス」から国民を守るためには、海外への渡航や来日に対して制限を掛けること。諸外国では国民に一定の「行動制限」を課す国は少なくありません。

 

 

 安倍前首相の演説にあった「異次元の対策」の一つとして、個人の自由を制限することになっても、これ以上感染を拡げないために敢えて「行動制限」を課すべき時ではないでしょうか。少なくともこれだけは断言できます。いくら四度目の「緊急事態宣言」を発出しても、それだけでは効果はほとんど期待できないのです。