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「開会式」控えめ演出は「感染五輪」の前触れか?

 史上初、無観客の「東京五輪」開会式が23日の午後8時より開催されました。5色の花火がオリンピックスタジアム上空で夜空を華々しく照らし出しましたが、空席ばかりの会場からは歓声が沸き起こることもなく、まるでゲームの仮想空間を思わせる何ともシュールな開会式でした。

 

 

「異例尽くし」の五輪

 

 

 昨年の開催が1年後に延期されたのも異例でしたが、何よりも開催都市の東京都に「緊急事態宣言」が発出される最中の開会式を無観客にしてしまうという”荒業”も異例中の異例と言うべき。

 それだけではありません。女性蔑視の失言問題により大会組織委員会会長だった森喜朗氏が辞任を余儀なくされたのを始め、一度決まりかけた五輪のエンブレムデザインが選考段階での不透明性が問題視されて撤回されたり、クリエイティブ・ディレクターの佐々木宏氏がタレントの渡辺直美の体型を揶揄するコメントが明らかになって辞任。

 まだある。音楽担当の小山田圭吾氏が20年前のインタビュー記事で障碍者への虐めを明かしたことが今になって報じられ、本番のわずか4日前に突然解任されたり。今回の大会はとにかく「スキャンダルのデパート」です。異例尽くしの五輪に違いありません。

 

 

 しかし一等異例なのは、新規感染者数が約半年ぶりに2千人に迫った7月22日、全国の新規感染者数が2520人と過去最多を記録した今年1月7日のような状況を呈しつつある現在の感染急拡大の最中にもかからわず、五輪を”強行”開催に踏み切ったことです。これでは国会で与党による法案の採決方法と同じではありませんか。直前の世[論調査でも国民の大多数は五輪に否定的にもかかわらず、政府は「安全・安心な五輪は実現可能」と強弁し、ついに開会式の当日を迎えたのです。

 

 

 スポーツと平和の祭典であるはずのオリンピックが「COVID-19」という”生物化学兵器”級のモンスターウィルスの脅威にもろに晒されているのです。入管では万全の水際対策を易々とすり抜けて、訪日した選手団の陽性者を見過ごすという失態を演じました。その後次々と選手団や関係者からコロナ陽性反応が判明、23日までに3人の選手を含み合わせて127人の感染が確認されています。

 

 

 五輪の日程に合わせて19日の海の日を22日に移動し、開会式の行われた23日もスポーツの日(以前は体育の日でした)と木金を連休にしたことで土日を合わせれば4連休になります。学校も夏休みに入り、そこに4連休が取れることになり、いくら政府分科会の尾身会長がテレビを通じて「不要・不急の外出自粛」を呼びかけようともまったく効果はありません。

 「宣言」も何のその、繁華街の人出は増える一方。57年ぶりの「東京五輪」も開会式さえ参加できないとあっては、海に山に出かけたいという「コロナ禍」で抑圧されたが強烈な欲求を誰が押し留めることが出来るでしょうか。

 

 

 感染抑制の唯一の”切り札”であるはずのワクチンは供給不足に陥り、遅々としてワクチン接種が進まない現状に国民の怒りはもはや爆発寸前です。ワクチン接種のスピードを加速させると大見えを切った政治家たちは前に出ろ!と言いたい。いざ接種してもらいたくても、肝心のワクチンが不足気味というのでは話になりません。今さらファイザー社の首脳陣とこそこそ交渉しているようでは遅すぎます。

 この国の政治家は何から何まで動きが鈍い。まるでハシビロコウではありませんか。もっともハシビロコウもいざという時には素早い動作で獲物を捕らえる能力があります。ナマケモノに例えるのが相応しいのかもしれません。

 

 

「感染五輪」の前触れ

 

 

 「東京五輪」の開会式、クールジャパンを世界にアピールするには、それなりの演出が必要です。大会のクリエーターが、数々のスキャンダルに見舞われながらも何とか世界に向けて発信するに値するような演出を作り上げたと言えるでしょうか。毀誉褒貶はあるものの、概ね海外のメディアは東京大会の開会式について評価している模様です。多くのメディアは「控えめな演出」と報じました。

 

 

 ひとり黙々と地道にトレーニングに励むアスリートの姿があります。コロナ禍で存分に練習が出来ないジレンマに苦悩する姿が、無観客の巨大なオリンピックスタジアムの中に浮かび上がります。威勢よく音頭を取る法被姿の女性棟梁。その周りで忙しく動き回る職人たち。彼らは裏方でありながら、彼らの献身的な働きがなければ「東京五輪」の開催など出来るはずもありません。

 オリンピックという大きな檜舞台の裏では、数々の苦難や葛藤の連続がありました。そうした大会の裏方たちにスポットライトを当てる演出はなかなかのものです。

 

 

 各国の代表選手の入場シーンでは、お国柄を表すように自由に飛び跳ねたり、カメラに向かって投げキッスをする女性選手もいて、観ていて飽きることはありません。ただ、従来行われてきた五輪大会に比べて決定的に違うことがあります。

 それは、誇らしげに入場する選手たちに対する声援も、優れたアイデア満載のパントマイム的なパフォーマンスも、日本が誇る伝統芸である歌舞伎の演技も、そして海を渡って灯され続けてきた聖火リレーにも、以前のような割れんばかりの拍手に包まれることはなく、無人の観客席から無言のうちにあるメッセージが発せられた点です。

 

 

 地味で控えめな開会式から始まった東京五輪。せっかく巨費を投じて建て替えられたオリンピックスタジアムも結局、無観客にせざるをえませんでした。「デルタ株」が国内で急拡大する中、国民に”望まれない”形で開催される五輪。今後、私たちが直面するのは、第3波をも凌駕するパンデミックに他なりません。無観客の中で行われた地味な開会式は来るべき「感染五輪」の前触れなのかもしれません。