明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「オリビア・ニュートン=ジョン」国葬と「安倍元総理」国葬の違いとは

 天使の歌声を持つ豪州出身のオリビア・ニュートン=ジョンさんの訃報が世界中を駆け巡りました。金髪のロングヘアーという典型的な美人歌手として瞬く間に大人気を博したのはご承知の通り。ソロ歌手として初めて日本公演を行った際には、一大旋風を巻き起こしました。

 オリビアさんの行く先々には常にカメラマンが列をなしてフラッシュが絶えず焚かれ、これにはさすがのサービス精神の旺盛な彼女も耐えきれずに、両手で顔を覆い隠す仕草さえ見られました。彼女の美貌ばかりが取り沙汰され、歌手としての実力は二の次というのが当時の見方でした。まさしく西洋の「アイドル」歌手だったのです。

 

 

「アイドル」からエンタメスターへ

 

 

 初期の頃の代表曲『そよ風の誘惑』は透明感のあるハイトーンを強調した曲調と親しみやすいメロディで大ヒットしました。ジョン・デンバーの『カントリー・ロード』や『レット・ミー・ビー・ゼア』などカントリー調の曲が続いたため、カントリーシンガーと呼ばれることもありました。

 

 

 ある雑誌のインタビューで、自分は決してカントリー歌手ではなく、様々な曲を歌っていると語りました。確かに『その風の誘惑』の収録されたアルバムでは、ロックバンド・ホリーズの『安らぎの世界へ』を取り上げています。メジャーデビューを果たした『イフ・ノット・フォー・ユー』からして後にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの作なのですから、オリビアは単なる”アイドル”歌手などではありません。彼女のあの美貌ばかりに目が行ってしまうのでした。

 

 

 彼女のステージングはなかなか見事なものでした。ふわりとした白い衣装に身を包み、金髪をなびかせながら時にシャウトし、時にアンニュイなニュアンスを表現し、ファンを魅了してやみません。クライマックスで歌う、シンガーソングライターのピーター・アレン作の『愛の告白』(I Honestly Love You)では、日本語で"アイ(シ)テマス”と囁くのです。たとえ彼女の日本語が間違って「シ」を抜かして「アイテマス」とやっても、ファンならばそんなことはまったく気にせずに、ただただ夢心地になるばかりでした。

 

 

 50代以降の男性諸氏ならば当時のオリビア人気の凄まじさを覚えているはずです。その年代に人々にとっては紛れもなく彼女は「アイドル」でした。ところが、その後の彼女の活躍ぶりには、かつての「カントリーシンガー」「アイドル歌手」といったレッテルなどまったく当てはまりません。特にヒットミュージカルを映画化した『グリース』でジョン・トラボルタとダブル主演を果たしてからは、歌もダンスもこなせる一流のエンターテイナーに成長していったのです。

 映画『ザナドゥ』では、伝説のミュージカルスター、ジーン・ケリーと共演。スケート靴をはいて踊り歌う姿は大物スターにも負けず劣らずの迫力でした。

 

 

 トレードマークの美しいブロンドヘアをばっさりと切り落とし、スポーティでセクシーな衣装に身を包み歌う『フィジカル』で、オリビアはカワイ子ちゃん路線から思い切ったイメージチェンジを図りました。『ア・リトル・モア・ラブ』はハードなロック調の曲。カントリーシンガーからポップスの歌姫、ミュージカル女優、ロックシンガー。彼女は七変化どころか、その活躍の場はショービズの世界だけに留まりません。

 

 

 40代に入った頃に乳がんを患い、しばらく表舞台から退かざるを得なくなりました。すると今度は自らがモデルとなって癌の早期発見、治療の重要性を訴える活動に乗り出し、「オリビア・ニュートン=ジョン」財団まで創設したのです。

 そうした啓蒙活動が認められ、オーストラリア勲章、大英帝国勲章、そして日本の旭日小授賞が授与されました。もちろん、音楽活動では米国のグラミー賞を4度も受賞しています。歌手として一流であるばかりか、慈善活動にも大いに力を注いだのです。

 

 

 歌手からスタートして次々とキャリアアップしていったオリビアですが、あの美貌と誰からも愛されるキャラクターは終生変わることはありませんでした。彼女の突然の訃報に世界中から哀悼のメッセージが寄せられたのです。

 

 

「そよ風の誘惑」には敵わぬとも

 

 

 オーストラリアのアンドリュース首相は国葬を執り行うことを表明しました。国葬とは言うまでもなくオリビアさんを国賓としてその葬儀を行うことを意味します。

 愛くるしい笑顔と美しい歌声で世界中の人々を魅了してやまなかったオリビアさん。享年73歳というのはあまりにも早すぎます。ファンならずとも誰もが同じ思いのはずです。

 

 

 日本の憲政史上、最も在任期間が長い安倍晋三元総理が銃弾テロで命を奪われましたが、岸田首相は早い段階で安倍氏の葬儀を国葬とする旨を発表しました。その痛ましい突然の死に際しては、世界中の要人から悲しみの声が寄せられました。政治家にとって選挙活動というのは一種の”戦場”でもあり、選挙戦の最中で凶弾に倒れた安倍氏はまさしく「戦死」と言うべきでしょう。

 

 

 安倍氏へのテロ攻撃は「言論に対する挑戦だ」などと大手マスコミはこぞって書き立てました。が、その舌の根も乾かぬうちから「国葬」に対しては疑問を呈する意見が大勢を占めたのです。豪州政府はオリビア国葬を決めたのに、日本の言論界は安倍氏国葬には概ね反対の模様です。そうした論調が影響したのか、世論調査の結果も反対意見が賛成を大きく上回りました。

 

 

 オリビアさんの国葬と一国の総理大臣の職にあった人物の国葬では、どうしてこれほどの違いがあるのでしょうか。その答えは、ずばり「皆に愛されていたか、否か」です。政治家に毀誉褒貶は付きものですが、安倍元総理は果たしてそれほどの「嫌われ者」だったのでしょうか。民主主義への挑戦であり、絶対に許されない蛮行に命を奪われたというのに。

 もちろん、オリビア・ニュートン=ジョンさんの「愛くるしさ」には敵わないでしょうけれども。