明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

始まりは出社拒否だった

  ちょっと耳の痛い話から始めさせていただきます。次の単語に思い当たることがある方にこそ、このブログを読んでいただきたいからです。

 

 役職停年・出向・配置転換・転勤・想定外の異動・窓際族・追い出し部屋・左遷・パワハラ・テクノストレス…。ふぅ、この辺に留めておきましょう。

 さて、もしあなたがこれらの言葉に思わず顔を背けたくなったりしたら(本当に背けないでくださいね)、私と同じかまたは似たような経験をした方です。

 

 自己紹介が遅れました。退屈だったらざっと飛ばし読みされても構いません。

 私たちの世代、即ちバブル入社組のことですが、今ほど必死に就活しなくても、複数の企業から内定をもらうなどというのは当たり前でした。私も何となくマスコミ志望ということでテレビ局から新聞社、出版社、広告代理店などに片っ端から入社希望の書類を送り、何となく面接と筆記試験に通ってとある都内の出版社に就職することとなったのです。

 配属先は雑誌の編集部でした。右も左もわからぬままに北に大事件が送れば北へ行き、南で著名人のスキャンダルがあれば南へ飛んでいくという風に、日々、取材に飛び回りました。雑誌記者は何でも屋で、政治ネタから芸能ネタ、事件ものまで守備範囲が広く、常に情報のアンテナを広げていなければなりません。とはいえ、実際には取材と称して毎晩のように”情報通”とやらと飲み歩くのも仕事のうちでした。

 徹夜明けに新宿や六本木界隈の飲み屋街に繰り出して、朝まで飲み明かしてから、まだ酒が抜けきれないままに次の仕事に掛かる、なんて言うこともざらにありました。そんなこんなで私は毎日、おもしろおかしくあちこち駆けずり回るうちに、あっという間に20代から30代、40代と駆け抜けて、気が付けば50代に突入していました。

 出版社には毎年1000人を超す入社希望者が殺到します。バブル期とは違い、今では若干名しか採用しませんから、面接やら筆記試験やらを勝ち抜いてきた優秀な新入社員が仲間に加わります。勢いで仕事をやっつけてきた我々バブル入社組よりも若くて頭の回転の速い、活きの良い記者たちにしだいに遅れをとるようになってきた、と感じ始めたのもこの頃からでした。そして、ある日、後ろから上司にトントンと肩を叩かれたのです。

 気が付けば私はすでに50代半ばの使い勝手の悪いロートル社員でした。異動先にはこれまで一度も経験したことのない、非生産部門の事務職しかありません。この年齢にして初めて扱うエクセルを使い、書類や計算表をつっかえつっかえ作っているうちに多分頭の中でどこかのネジが飛んだのでしょう、その職場にいること自体が苦痛で堪らなくなりました。

 そしてとうとうその日がやってきたのです。入社以来、通い慣れた通勤電車に乗ることに不安と恐怖を感じるようになり、乗車中には腹痛、吐き気、めまいに絶え間なく苛まれて、会社の最寄駅に到着してもそこで下車することが出来なかったのです。

 私はそのまま車両に留まり、でたらめにどこかの駅で電車を降り、見慣れない改札口から外へ出て、駅前のコンビニの前でぼろぼろと涙を流しました。初めての出社拒否です。でもそれは始まりに過ぎませんでした。

 

  長文で失礼しました。次回は「救い」をテーマにしたブログを書きます。ご期待下さい。