明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

人生の「梅雨入り」について考える

 気象庁の発表によれば、関東地方では先月、ひと月の降雨量の記録を更新したそうです。連日の雨降りにはもううんざり。まだ入梅前だというのに、お天道様が暦を読み違えたのでしょうか。

 雨降り自体は悪いわけではなく、日本のように四季に恵まれた土地では、季節ごとの約束事があり、その一つに入梅があります。雨降りは運動会や旅行などのアウトドアで行うイベントにはマイナスですが、農作物や山や野原に生息する動植物にとってはまさしく恵みの雨に他なりません。

 

 

雨降りと月曜日

 

 

 リモートワークが許される方々にとっては、外の天気などあまりご関心がないのかもしれませんが、日々朝に夕に混雑する通勤電車に揺られなければならない”普通の”勤め人には、雨降りは̠マイナスでしかありません。さらに週初めの月曜日に雨の予報が出ているのを知った時には、ああ会社なんか(学校なんか)行きたくない!とそのまま部屋に閉じ懲りたくもなります。もちろん、引きこもりは深刻な状況ですから、雨が降ったくらいで会社(学校)を休むのは極力避けたいものです。

 

 

 うつ症状の方は「雨降りの月曜日」というのが苦手なはず。筆者もそのひとりでしたから、日曜日の夕方のニュースを見て、翌日の月曜が雨降りの予報だったりすると、あたかも自分が奈落の底に落ちていくような絶望感に苛まれました。そんな落ち込みがちな気分を何とかなだめようとして、苦心惨憺した結果、自分なりの「現実逃避」の方法を編み出しました。

 

 

 もちろんすべての方に効果があるとは思えませんが、ここでその「逃避行」の極意を披露いたしましょう。

 

 その1。日曜日にはカレンダーを決して見ないこと。その日は土曜日だと自分に言い聞かせて、その通りに明日のことなど一切考えずに行動します。

 

 その2。曜日も日時も忘れるほどに何かに没頭すること。机や押し入れの中をすっかりきれいに整理整頓するのもいいでしょう。あるいは、趣味に浸り切るのもいいでしょう。筆者は音楽鑑賞が何よりの楽しみですから、朝から晩まで家人から五月蠅いと文句を言われようが一切聞き入れずに、CDラックやレコード棚から気持ちの赴くままに聴きたい音楽を一日中、鳴らし続けるのです。

 

 これは大いに効果がありました。聴き疲れる頃には、明日のことなど考える間もなく時間が過ぎていきます。要するに流されるままに時を過ごせば良いのです。

 

 

 『雨の日と月曜日は』という曲があります。カーペンターズが歌ってヒットした曲ですが、歌詞の内容はこんな具合です。

 

「独り言なんて年をとったのかも

 何もかも嫌になってやめちゃおうかな

 そんな思いでそこらをぶらついても

 しかめっ面しかできないなんて

 雨降りと月曜日はいつも落ち込んじゃうのさ」

 

 

人生の「梅雨入り」に

 

 

 医学の進歩のお陰でヒトは長生きするようになりました。

 中でも日本人男女の平均寿命は84歳という、世界有数の”超高齢者”国家です。その昔は人生50年時代もありましたが、今では「人生100年」と言われています。幸か不幸か。その答えを導き出すことは恐らく不可能と思われます。まさしく、神のみぞ知る、なのです。

 

 

 人生50年の頃からその倍の長寿国となった私たち日本人。長い人生の中には、文字通り山あり谷ありで、苦しい時、死にたくなるほど辛い時もあれば、万事上首尾で順風満帆の方もいらっしゃいます。人生いろいろです。

 

 

 たとえば「梅雨入り」を人生に置き換えるとすれば、一体、どんな人生模様でしょうか。山と谷ではどちらかなのか。幸か不幸か。禍福は糾える縄の如し、とはうまく言ったものです。プラスとマイナスのちょうど中間あたりなのかもしれません。

 入梅の後には真夏の太陽が照り付ける”灼熱”の夏が到来します。子供たちは喜び勇んでお友達と表に駆け出す季節。青春の季節でもあります。

 

 

 しかし一方では、日照不足の草花が萎れるように心がすっかり縮れてしまい、何を見ても何をやっても悲しみに暮れるしかない絶望感に襲われることもあります。ちょうどうつ症状に苦しむ人が雨の日と月曜日を恐れるように。

 人生の「梅雨入り」は前述したように、幸と不幸の中間点にあるわけですから、そのどちらかに傾いてもおかしくないのです。

 

 

 篠突く雨に傘を持たずに歩み出せば、雨は容赦なくシャツを濡らし、布地が体に張り付いて、濡れそぼちます。誰かが傘を差しだしてくれたのならば、こんな惨めな思いをせずに済んだのに。『となりのトトロ』の1シーンのように、あなたの傘で救われる人がいるのです。世界中の困っている人々にあなたの”傘”を差しだせば、救われる命もあるのです。あと少しの勇気さえあれば…。

 

 

 70年代という激動の時代に、三島由紀夫自衛隊の市ヶ谷駐屯地の一室を占拠し、バルコニーに立ち、怒号飛び交う群衆を前にして、命を張って「決起せよ」と檄を飛ばしました。今から50年ほどまえの出来事ですが、あの三島の言動の是非よりも、人生の「梅雨入り」について語ろうではありませんか。

 幼子が車道を一人歩きするように、実に危うい季節。もしもあなたがそんな覚束ない姿を目撃したらどうしますか。車道いっぱいに走り抜ける車から子供を庇おうとして無意識に手を差し伸べるに違いありません。

 

 

 「梅雨」は人生において不確かな季節でもあります。奈落の底に落ちないとも限りません。そうならないように、歩みも危うい幼子を庇う手のように、篠突く雨に傘を差しだしましょう。そうすれば、誰も傷つかず、濡れそぼつことなしに笑顔が溢れることでしょう。雨が上がれば、きっとあの懐かしい太陽を顔いっぱいに浴びて心の底から莞爾と笑い合えるはずです。