明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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核兵器廃絶という「十字架」を背負われる「フランシスコ教皇」

 カトリック教会の総本山、フランシスコ教皇がこのほど来日し、被爆地の広島と長崎を訪問されました。雨まじりの強風が吹きつける中、傘もささずにずぶ濡れになりながら、羽田空港へ降り立たれました。あたかも今回のご訪問の目的である、核兵器廃絶と世界平和を訴えられるというご使命が、いかに困難なことであるかを象徴しているかのようでした。38年ぶりに来日されたローマ教皇が背負われる「重い十字架」について、考えてみたいと思います。

 

 

演説に込められたメッセージ

 

 

 以前から唯一の被爆国である日本に対してご関心を抱かれていたそうですが、バチカン市国の元首でもあるフランシスコ教皇は、まず長崎の爆心地公園で雨の中、演説されました。少し長いですが、以下に引用させていただきます。

 

 

 

 わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。


 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

 

 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。

 

 今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。


 核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則にのっとり、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。

 

 いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指すなかで、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

 

 

 

 演説のひと言、ひと言が心にずしりと響きます。拡大する相互不信という文言がどなたへ向けた言葉なのか、お判りですね。核保有国の指導者すべてに向けた警句に他なりません。核兵器を廃絶することでしか、世界平和は成し遂げられないと仰ります。ご承知のように世界各国は一部の核保有国が謳っている「核による抑止力」により、均衡が保たれているのが実情なのです。日米安保もまさしくそうです。しかし、核の脅威がなくならないことには、非保有国は「核の傘下」でしか安全に暮すことは出来ないのもまた事実です。

 

 

 その上で、核兵器廃絶により得られる相互理解に至るまでには、一体、どれほどの困難が待ち受けていることか、容易に想像できます。演説後にフランシスコ教皇は他宗派の代表や仏教、イスラム教などの代表者一人、一人に挨拶を交わされました。宗派や宗教の枠組みをも超えて、共通の目標を目指しましょうというメッセージを体現されたのです。

 

 

『イマジン』

 

 

 あのご様子をご覧になった皆さんは、どうお感じになりましたか。私は、即座に、ジョン・レノンの『イマジン』を思い浮かべました。あの曲の歌詞を思い出してください。国境もない、宗教もない、ただ空があるだけというあの曲の世界観が、教皇の演説と何と似通っていることでしょうか。とくに演説の終盤で仰られたこの一節、

「いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします」

 とのお言葉に感銘を受けました。

 

 

 フランシスコ教皇の演説が決して「夢想家」なんかではない、実現しなければならないことなのだということを強く感じました。『イマジン』の歌詞に込められた意味を今一度考え合せて、夢想家といわれても、世界中がひとつになって暮らせる日がやってくることを、私たちも教皇と共に、そしてジョンの魂と一緒に祈りましょう。

 

 

 核兵器廃絶という重い十字架を背負われたフランシスコ教皇。その道のりは長く、ゴール地点はまだまだ先の先です。たとえどんなに困難であろうとも、私たちは果てしないゴールへ向かって、一歩ずつ進んで行くしかないのです。