「戦争回避」でも「薄氷を踏む」日本の安全保障
イラン軍がイラク国内にある米軍基地をミサイル攻撃したというニュースに、すわ、戦争かと一時は覚悟しました。でも有難いことにトランプ大統領は事前に予告していたような「報復の報復」攻撃はしない決定を下しました。ひとまず、戦争は回避されたのです。
薄氷の「戦争回避」
トランプ大統領の意思決定の裏には、複雑な事情があるようですが、何よりもイランと全面戦争にならなかっただけでも、幸運だったと感謝しなくてはなりません。
結果的には、米国側が事前にイランが攻撃を仕掛けることを察知して、あらかじめ待避行動をとっていたために、米国の被害は最小限に留められたのです。
もし事前にイランの攻撃に備えていなければ、多数の死者が出たことは確実です。正確な”情報”をいかに得られるかが、勝負を分けるともいわれる所以です。
米国がイランの報復攻撃に関して不正確な情報しか持ち得ていなかったらと考えると、背筋が凍る思いがします。米国人がイランの蛮行を許さじと団結して、トランプ大統のもと、一気にナショナリズムが台頭するかもしれないのです。
今回はたまたま米国側の被害が少なかったために、全面戦争にならずに済んだだけのことです。戦争を回避できたのは、まさに薄氷を踏むようなものだったのです。
さすがに今回の事態には、平和ボケの日本人の「水と安全は只」という甘い幻想は吹き飛びました。もしイラン・米国の間で戦争が勃発すれば、ホルムズ海峡の航行の安全を確保するためという名目で自衛隊を派遣するどころではなくなります。戦地へ初めて日本の自衛隊が派遣されることになるわけです。
すでにイランが米国の同盟国に向けて警告を発したように、日米安保条約を結ぶ日本の自衛隊も当然ながら、イラン軍の攻撃対象となります。そうなれば、自衛隊員に初の戦死者が出ることは大いにあり得ます。只では済みません。
「安全神話」の崩壊
日本人が日々、安泰でいられるのは、日米安保により米国の「核の傘」に守られているからに他なりません。1960年代には日米安保の是非をめぐり、過激な学生運動家と警察とが激しく衝突する学生運動が盛んでした。学生運動の是非はともかく、当時の日本人は真剣に日本の安全保障について考えていたことだけは確かです。
日米安保が結ばれてから数十年が経ち、日本人は自分の国は自分で守るという世界の常識をも忘れてしまったのです。中国や北朝鮮、ロシアなどの隣国から国家を守る役割を、アメリカに任せきりにしたせいでもあります。今や日本人はすっかり「平和ボケ」という病魔に侵されているのです。
江戸時代の末期に、黒船の来襲により日本は半ば強引に開国せざるを得なくなりました。当時の世相を皮肉った有名な川柳があります。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず」
今の日本政府と日本人もまさしくこんな状況ではないでしょうか。今回の戦争回避で、私たちは平和ボケの頭をガツンと殴られたような感じがしました。でも、まだまだ眠い目をこすっている程度かもしれませんね。
安倍政権は憲政史上最長となりそうな勢いです。超長期政権のもとで憲法改正を断行しようと鼻息も荒い模様です。しかし、安倍総理は中東歴訪の予定をたった一日で中止を決めたのです。何という弱腰でしょう。むしろ、戦争を回避するために日本政府が積極的に当事者であるイランを説得するくらいの覚悟はないのでしょうか。
ミサイルが飛び交う危険な国は訪問したくないという安倍首相の態度に、トランプ大統領は大いに失望したに違いありません。結果的には、米国側が事前に攻撃を察知していたことで、被害は最小限に留められ、イランも対して報復攻撃はしないことを発表しました。が、再び両国間の緊張が高まれば、第二、第三の攻撃もあるかもしれません。今回は何とか戦争を回避できても、次はどうなるか、誰も予測はできません。
日米安保について、トランプ大統領は、いつまでも日本は米国に甘えすぎだと考えている模様です。日本側にも相応の代価を支払うように再三、要求しています。もう「水と安全は只」の時代は終わったのです。そのことを私たちは自覚しなければなりません。
イランばかりではなく、世界中のいたるところで国際紛争が勃発しつつあります。日本もその例外ではありません。尖閣諸島しかり、竹島しかり、北方領土しかりです。中国は、尖閣諸島を巡り領海侵犯を繰り返していることはご承知のとおりです。
竹島などはすでに韓国が実効支配しているではありませんか。北方領土も同様にロシアが支配下に収めています。でもそれらの”敵国”と本格的な戦争しなくて済むのは、日米安保があるからです。その日米安保ですら、トランプ政権下でその存在が危うくなりつつあります。一体、日本はどうなってしまうのでしょう。
迫りくる隣国の脅威から何とか持ちこたえているものの、日本の平和はまさしく「薄氷を踏むが如く」の状況と言わざるを得ません。今回、弱腰ぶりが露呈した安倍首相のもとで、果たして憲法改正など出来るのでしょうか。自衛隊の海外派遣は今後、ますます頻度を増していくはずです。”戦地”で直接、攻撃に参加しないという建前がいつまでも通用するはずもありません。
戦地に派遣され、そこで攻撃され命を落とす隊員が出た時、政府はどのような言い訳をするつもりなのでしょうか。安倍総理ご自身が弱腰では、自衛隊員は一体、どのような大義名分を以て戦地に赴けばいいのか。総理は隊員の立場をよく考えてもらいたいものです。そして、安倍政権のもとで、果たして憲法改正ができるのか、そもそもその資格があるのかについても、今一度、私たちは熟考するべきではないでしょうか。