明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「羽生結弦」天使の舞いは「平和」を願うメッセージ

 史上初の銀メダルを獲得したカーリング女子「ロコ・ソラーレ」。決勝戦でイギリスチームに惜しくも敗北し、金メダルは逃したものの、何度も厳しい場面を乗り越え決勝進出を果たし、銀メダルを獲得したことは大いに賞賛されるべきです。「2位じゃダメなんでしょうか?」と的外れな発言をして叩かれた国会議員がいましたが、今回の銀メダルは実に誇らしいメダルではありませんか。

 

 

天使の舞い

 

 

 五輪開催前から金メダル候補の第一位に上がっていた男子フィギュアスケート羽生結弦選手がメダルを逃したことは残念でしたが、エキジビションでの素晴らしいパフォーマンスが世界中の人々を魅了しました。純白の衣装に身を包んだ羽生の華麗なる滑りは、まるで天使がリンクに舞い降りたかのよう。『春よ、来い』。あの”天使の舞い”が人々に思い起こさせたのは、まさしくこのフレーズでした。

 

 

 「平和の祭典」であるはずのオリンピック。それがいつしか主催国の政治的プロパガンダの道具にされ、今ではすっかり”汚れっちまった”のは残念でなりません。北京五輪の裏に、ウイグル族の人々に対して中国政府が行っている恐るべきジェノサイドが巧妙に隠匿されました。罪もない少数民族が1人の独裁者の手で殲滅されようとしているのです。

 

 

 無残に踏みにじられた「平和の祭典」であっても、メダルを目指して夢の舞台に全身全霊を傾けて最高のパフォーマンスを披露するアスリートたちの純真には心を打たれないではいられません。氷上を舞った羽生結弦の姿そのものが嘘偽りのない真実であり、メッセージなのです。北京五輪が終幕した後も、蹂躙され続ける人々にもこのメッセージはきっと届いたことでしょう。「春よ、来い」と。

 

 

 五輪の主催国が独裁国家であっても、一流選手たちだけが演じられる最上級のパフォーマンスには、人々の心を揺るがし深い感動を呼び起こさせる力があります。スポーツ以外の分野でも、たとえば音楽や文学、アートの世界でも同様です。スポーツでもアートでも、その世界に打ち込んできた人々の純真さが人々に感動を与えるのです。

 

 

「平和」を願うメッセージ

 

 

 今現在、世界は戦争という大きな波に飲み込まれようとしています。米国を中心とした民主主義国家とロシアや中国に代表される社会主義国家との間で、大きな軋轢が生じたのです。ウクライナを巡る国際情勢がまさにそれです。バイデン大統領は近日中にもロシア軍がウクライナへ侵攻するだろうと断言しました。実際、ロシア軍が第二次大戦以来、最大の軍隊を同国周辺に配置したのは、ただの脅しなどではありません。もはや「戦争」は不可避なのかもしれません。

 

 

 新疆ウイグル地区での残虐行為を隠蔽するために中国政府はオリンピックを政治利用しました。ロシアも北京五輪を隠れ蓑にして、着々と戦争準備を整えました。

 ローリングストーンズの『ギミー・シェルター』の歌詞にこんなフレーズがあることを以前、このブログで申し上げましたが、もう一度。

 

 

 「さあ戦争が始まるよ

  たったの一発で

  (中略)

 

  洪水に飲み込まれる前に

  逃げ場をくれ

  さもなくば俺は消えちまう」

 

 

 そうです。今まさに僅か一発の砲弾で戦争が始まろうとしているのです。名ばかりの”平和の祭典”の陰に隠れて、新疆ウイグル地区への侵攻とロシア軍によるウクライナ攻略が行われようとする中、誰もが”シェルター”を必要としているのです。

 

 

 一触即発。”たった一発で戦争が始まる”。そうした緊迫した国際情勢にあって、私たちに出来ることは何でしょうか。外交による緊張緩和はどうか。これまで幾度となく話し合われてきた両国間の課題に対して、今更互いに歩み寄る余地などあるものですか。プーチン大統領に戦争をしたいのかどうかを問うたら、どう答えるか。恐らく答えに窮することでしょう。誰も好き好んで戦争したいとは思うはずもないのです。

 外交によって戦争が回避できれば結構なことですが、両者の利害が一致しえない状況では極めて困難と言わざるを得ません。

 

 

 人は本来、エモーショナルな生き物です。初めから論理一辺倒の人間などいるはずもありません。一部の政治家にはその手がいるかもしれませんが。そうした政治家たちに訴えかけるには、いくら会談を重ねてもただ徒労に終わるだけです。一層のこと、思い切り感情に訴えたらどうでしょうか。

 

 

 いかに五輪が主催国の政治ショーに成り下がったとしても、そこで繰り広げられる世界の一流アスリートたちの素晴らしいパフォーマンスには、石頭の政治家でさえも感動を抑えきれないはず。

 人は感動する生き物です。羽生の”天使の舞い”に感動しないではいられないことでしょう。あの”天使の舞い”を前にして、誰がミサイルを撃ち込んだり、大量虐殺しようとするでしょうか。どんな冷血漢でもあっても。

 

 

 人を感動させられるのは人であり、最高のパフォーマンスなのです。オリンピックという晴れ舞台は、数々の感動を人々に与えました。そこには人の持つエモーショナルな部分を激しく揺さぶる要素が横溢しているからです。世界中の人々に、政治家たちに「平和」を願うメッセージを発信したことだけは確かです。

 

 

 

 

 

「北京五輪」は壮大なる「政治ショー」に他なりません!

 参加することに意義があるなどと申しますが、実際、オリンピックの裏の目的とは開催国による壮大なる「政治ショー」に他なりません。

 日本を始め先進国が開催する五輪では、自国の先進性と国民の優秀さをアピールすることであり、これから先進国の仲間入りを果たそうとする国は、豪華絢爛たる開会式の演出でインフラの充実度を強調します。

 今回の開催国である中国の場合はどうでしょうか。

 言うまでもなく、習近平率いる中国共産党による強靭な国家を余すところなく、世界中に発信することにあります。

 

 

「あざとい」演出

 

 

 映画監督による開会式の演出の善し悪しは別として、各国メディアが最も注目したのは、美しい聖火台などではなく、聖火リレーの最終ランナーがウイグル人であった点です。新疆ウイグル地区に対する弾圧が国際問題となっていますが、そうした国際世論をかわすための”あざとい”演出としか思えません。

 

 

 国連人権委員会が人権侵害の実態調査に新疆ウイグル地区入りすることを中国側はようやく認めましたが、果たしてどこまでその実像に迫れるのか、甚だ怪しいものです。

 「COVID-19」の発生源である武漢に派遣されたWHOの調査団に対して、現地入りを遅延させた上に、当初からの筋書き通りの結論に無理やり持っていこうとした”前科”があることを鑑みれば、たとえウイグル地区への国際機関の立ち入りを許したとしても、都合の悪いところはすべて地中にでも埋めて覆い隠すに決まっています。

 

 

 ウイグル族への重大なる人権侵害から国際社会の批判の目を反らすための「史上最大の政治ショー」であろうとも、北京五輪での日本の代表選手の大活躍に期待し、競技の行方を楽しみにされている方々も多いことかと思われます。それはそれで当然のことです。

 五輪への出場を夢見て日々厳しい鍛錬に耐え抜いてきた選手の方々には、主催国の政治的目的などは無関係。自らの実力をいかに出し切れるかが見所ですが、そこには政治的な思惑などはまったく介在しません。純粋に競技に打ち込む姿に私たちは感動を覚えるのです。すべての参加国の選手たちが美しいのは、まさにその純粋さゆえでしょう。

 

 

 今回の五輪に見事出場を果たした選手はもちろんのこと、現役を退き今は後進の指導に励まれる元選手の方々も含めて、オリンピック大会というのは、すべてのスポーツ選手にとっての”最高峰”であることには疑いの余地はありません。現役選手はそれまでの人生のほぼすべてをオリンピックへの出場という夢のために費やしてきたはずです。

 瞬きするコンマ数秒のためにアスリートたちは一体、どれだけの汗と涙を流したことでしょうか。「夢舞台」という言葉は決して大げさな表現ではありません。テレビ番組で芸能人の詠んだ句をコテンパンにやっつけることで知られる夏井いつき氏でさえ、彼らが五輪を「夢舞台」と表現しても決して赤字を入れますまい。

 

 

「五輪」を汚した「悪玉」たち

 

 

 オリンピック自体を批判するのではなく、開催国が五輪をいかに政治的に利用するのかが問題なのです。つまり、「五輪」に開催地・北京の二文字が入ることで、全世界を大いに落胆させるに十分だということです。「Peking」でも「Beijing」でも、とにかく中華人民共和国習近平国家主席が「悪玉」なのです。

 ナチスの最高指導者、アドルフ・ヒトラーは歴史上、最も忌み嫌われた人物の一人ですが、ヒトラー以後に幾人もの「悪玉」が登場しました。彼らに共通している点は「独裁者」です。習近平氏も間違いなくその一人なのです。

 

 

 ヒトラーユダヤ人を劣等民族と見做して、殲滅させようとしました。多民族国家である中国において、五輪の晴れ舞台での熱戦が繰り広げられる最中にも、ウイグル人は迫害を受けているのです。

 中国政府は徹底して情報規制を行っているため、外部に詳細は伝わりませんが、ごく断片的な情報だけでもウイグル人に対する苛烈な迫害には目を覆いたくなるほどです。政府に楯突いた者に対しては、一切容赦しません。女、子供であろうともひっ捕らえては、拷問などの虐待や処刑が公然と行われているのです。

 具体的には、体に電流を流したり、水責め、身動きの取れない「タイガーチェア」と呼ばれる椅子に長期間拘束したり、天井から釣りしたり、鎖で殴り蹴りつける、性的な暴行を加える、等々です。

 まとまった人数を一斉逮捕するために、地域の住民全員を集合させ片っ端から検挙していく。そのようにして1年間で90万人ものウイグル族の人々が拘束されたのです。これはまったくかのナチスユダヤ人に対して行ったジェノサイド(大量虐殺)と同じではありませんか。

 

 

 習近平氏は現在も進行中の「ジェノサイド」を秘匿する”手段”として、「北京オリンピック」を政治的に利用していることは明らかです。もうこれ以上、アスリートたちの美しき「夢舞台」を独裁者のプロパガンダに利用されるのには我慢がなりません。

 

 

 

尾身会長の「変節」に惑わされてはいけません!

 ついに新規感染者数が全国で5万人を超え、留まるところを知らないオミクロン株。東京都の感染者数も22日現在で1万1227人ととうとう1万人の大台を超えました。東京都を含む1都12県に蔓延防止等重点措置が適応され、さらに対象地区の追加要請が続出しています。

 ”コロナ優等生”だった日本はオミクロン株が世界を席巻しつつある中、前政権の失敗から学んだのでしょうか、岸田内閣は早い段階で水際対策の徹底を指示するなど、この恐るべき変異株の侵入防止に努めましたが、日本だけがパンデミックの嵐に巻き込まれないことなどあり得なかったのです。

 

 

 「小池劇場」の再演を阻止しようとしたのかどうかわかりませんが、岸田総理は迅速に「まんぼう」の適応を決定しました。ところが、オミクロン株の方が政府の想定をはるかに超えるスピードで全国に感染を拡大させていったのです。皮肉なことに、東京都に「まんぼう」が適応されたまさにその日には、すでにデルタ株中心の「第5波」とは比較にならぬほど爆発的なオミクロン株の感染状況を呈していました。もはや「まんぼう」どころか「緊急事態宣言」の発出も時間の問題です。

 

 

「尾身発言」の波紋

 

 

 こうした危機的な状況下、ある「発言」が波紋を呼んでいます。あろうことか、これまで「3密」や「新しい生活様式」の提言などを行ってきた政府分科会会長の尾身茂氏が19日、会見でこんなことを言い出したのです。

「オミクロン株の特徴にふさわしいめりはりのついた対策を打つ必要がある。人流抑制ではなく人数制限がキーワードだ」とし、さらに「ステイホームは必要ない。渋谷駅前の交差点がいくら混んでいてもほとんど感染しない」と語り、政府分科会のこれまでの方針から制限緩和に大きく舵を切ったかに思える発言を行ったのです。

 

 

 確かにコロナ禍に見舞われたこの2年間で国内の産業界は大きな打撃を被り、日本経済は疲弊しました。政府としては分科会の提言という形で何とか社会経済活動の正常化を図りたい意向に違いありません。ウィズコロナを模索する中にあって、尾身分科会会長のあの発言は政府の意向を”忖度”した結果だったのかもしれません。

 

 

 尾身会長の「制限緩和」寄りの発言は、しかし、政府が口には出せない本音に近い内容だったため、オミクロン株の超高速感染拡大の状況下では、およそそぐわぬものでした。これまで分科会で了承された基本的対処方針とも食い違いが生じました。分科会の提案では、混雑した場所などへの外出自粛、検査で陰性と確認されたグループには5人以上の会食を認めるなどが明記されていました。

 

 

 「まんぼう」対象地域に当たる東京都の小池知事はさっそく尾身発言と政府の方針の食い違いについて噛みつきました。これまでさんざん「3密」にならないように「忘年会・新年会」は無論のこと、普通の飲み会ですら我慢してきたのに、手のひらを返したような方針転換には納得がいきません。

 ましてやオミクロン株の猛烈な感染拡大がつづく最中です。早ければこの1週間以内には特に感染の急拡大が著しい東京都は「緊急事態宣言」の発出を要請する可能性が高い。尾身氏は言下にオミクロン株発症者はデルタ株に較べ重症化しにくいことを強調したかったのかもしれませんが、いくら重症化率が低くても感染者数がさらに急増すれば中重症者数も比例して増加することは間違いありません。そうなれば、再び医療機関が病床の逼迫など危機的状況に陥ることは容易に想像できます。

 

 

 尾身会長が分科会会長としてこれまで国民に対して新型コロナに対する危機感を訴え続けてきたことを考え合せると、やはり”変節”したとしか思えません。この尾身発言の真意は問われるべきです。

 オミクロン株の強力さを知り尽くしている専門家である尾身会長だからこそ、その発言は重い。もしも今、オミクロン株の年代別の感染者数の割合が最も高い20代の方々が「ステイホーム」を辞めて渋谷のスクランブル交差点に代表されるような人々の密集する繁華街に大手を振って繰り出したら、一体、どうするおつもりでしょうか。

 

 

「変節」に惑わされるな

 

 

 さすがに尾身氏は自らの行った「発言」内容をその後に誤解を招いたとして訂正しましたが、時すでに遅し。一度、口から出た発言はそう簡単には取り消せません。今、若い方々は最も権威のある専門家である尾身会長のこの発言を免罪符にして、ステイホームなんてもうやめた!ぱぁーっと街に繰り出そう!という気持ちを抑えることが出来ません。ただでさえ「コロナ慣れ」してきた今日この頃。重症化しないからオミクロン株なんて怖くない! そんな声が街中のあちこちから聞こえてきそうです。

 

 

 BCP(事業継続計画)を産業界は真剣に検討し始めています。事実、医療機関交通機関など公的な事業については、オミクロン株に感染した人員の穴埋めをどうするかなど、その対策を早急に講じなくてはいけません。重症化しなくても陽性者は一定期間隔離しなくてはならず、その間に人員不足となり事業の継続に大きな支障が生じる可能性があるからです。その意味では、第5波のデルタ株よりも数倍の感染力のあるオミクロン株はより危険なウィルスであると言っても過言ではありません。

 

 

 尾身分科会会長の「発言」は後に自身で訂正したものの、その波紋はますます広がるばかり。会長の”不用意”発言としか言いようがありませんが、ゆめゆめオミクロン株からの防御の手を緩めませぬように。尾身会長の「変節」に惑わされてはいけません。

 

 

 

日本の未来は「タイタニック号」になるのか?

 世界中で猛威を奮う「オミクロン株」。「コロナ」優等生だった日本もパンデミックの波から逃れることは出来ません。米軍基地震源説が囁かれる沖縄県は、最初に第6波に飲み込まれました。その後は、あれよあれよという間に日本全土はコロナに席巻され、新規の感染者数が過去最高を更新するのは時間の問題です。

 

 

 昨年の11月、12月の始め頃までは、ようやく新たなコロナ陽性者数が落ち着き、年が改まりいよいよこの2年間のコロナ禍による経済的なダメージから脱却を図る好機到来かと思いきや、さにあらず。第99代内閣総理大臣に就任した岸田氏率いる新内閣にとっては、思わぬ誤算となりました。

 新しい資本主義の構築を提唱する岸田総理としては、いち早くコロナ禍から脱して、経済の立て直しを図るべく算段していたところに、最悪のタイミングでオミクロン株の爆発的感染が起こったのです。分配と成長を促すという総理の構想は、新年早々、出鼻をくじかれた形です。

 

 

困難を極める「舵取り」

 

 

 いやはや、新年早々から岸田キャプテンが舵取りをする「日本国」丸は、「COVID-19」という巨大な障害物に行く手を阻まれそうです。すでに3年目に突入したコロナ禍によって日本経済はさらに疲弊の度合いが深まり、赤字国債に依存せざるを得ない”病的な”財政事情は常態化し、そこにコロナ対策が加算されました。「新たな資本主義」を実現させるために、2022年度の一般会計総額は過去最高の117兆5964億円を計上するに至りました。

 超赤字大国・ニッポン。いつその馬脚を現すとも限らないのです。すべての国民はもはや後戻りのできない日本経済の現状に呆然とするしかありません。

 

 

 このままでは「日本国」丸は早晩「タイタニック号」と同じ運命を辿らないとも限らないのです。

 設計段階に難点があったにもかかわらず、無理やり処女航海に出た大型豪華客船「タイタニック号」。豪奢な船内で優雅な船旅を楽しんでいた人々=日本人。順調な航海だとばかり思っていたのに、ある日突然、目の前の巨大な氷山=新型コロナ・変異株・パンデミックなどの禍、に衝突。

 あとは、映画『タイタニック』の衝撃的な沈没シーンを思い浮かべればいい。ただし決してスペクタクルなどではなく、目を覆いたくなるような悲惨な結末が待ち構えているかもしれないのです。

 

 

 もう二度と新型コロナウィルスの登場する以前のような生活には戻れそうにありません。これからはどこへ行くにも何をするにも「COVID-19」と一緒です。「ウィズコロナ」などという洒落たキャッチコピーは無用。そんなに生易しくはないのですから。

 たとえ「タイタニック号」のような”沈没”こそ免れることが出来たとしても、現実は相当に厳しいものになることでしょう。政府分科会の尾身茂会長が提唱した「新しい生活様式」くらいで驚いている場合ではありません。我々の日常生活から働き方、ひいては社会全体が大きく変革せざるを得ないのです。

 

 

 コロナ禍の私たちが実際に体験している事柄は皆、以前の常識とは大きくかけ離れています。「3密」という言葉が当たり前になり、職場やエンターテインメント、旅行、飲食、等々の在り方が一変しました。とくに資本主義の根幹部分である生産現場、即ち職場の環境は激変しました。コロナ以前には、政府がいくら「働き方改革」を推奨しても、相変わらず経済界は重い腰を上げるまでには至りませんでした。

 ところが、「3密」の実行にはどうしても職場環境の変革が必要不可欠なため、企業は手探りで社員のリモートワークをスタートさせました。もしもこの期に及んでもなおリモートワークへの切り替えが出来ない企業があれば、その会社はもはや完全に今後のウィズコロナ時代を生き残ることは不可能でしょう。

 

 

日本は「タイタニック号」?

 

 

 職場環境を変えるというのは、オフィスをリノベーションすることではないのです。隣のデスクとの距離を離したりアクリル板で仕切るなどしてオフィスのレイアウトを変更したとしても、それはただのリフォームでしかありません。「3密」に「人流」という新たなキーワードが加わりましたが、人流を制限しない限りは現在、急激に拡散中の「オミクロン株」への感染を抑えることは出来ないのです。

 いかにして一ヵ所に社員が集中しないようにするかがポイントなのです。オフィスのリフォームに金を掛ける必要などありません。社員の働き方そのものを根本的に見直すことが肝要です。

 

 

 サラリーマンとして(社畜として?)数十年間働き続けるうちに、気が付けば「定年」が目前に迫っていることに愕然とする。そういう経験をされた方は少なからずいらっしゃることと思われます。筆者もまさにその一人ですが、今現在、20代、30代、40代の現役バリバリの社会人の方々には、これからは昭和・平成時代とはまったく違った働き方になることでしょう。

 

 

 企業の定年延長が義務化され、現在の65歳定年から70歳に引き上げられる模様です。すでに70歳定年を決断した会社もあります。少子高齢化社会の”最先端”に立つ日本の会社員は、破綻寸前の年金制度を何とか維持するためにも死ぬまで働けと、政府から発破を掛けられているのです。そこへ持って来て、「ウィズコロナ」時代の幕開けです。

 リモートワークなどまだ序の口。社会構造そのものが大きく変貌を遂げつつある今日この頃、将来の日本が「タイタニック号」のようにならないことを祈るばかりです。

 

 

 

「神田沙也加」さんの遺志をどう受け止めたら良いのでしょうか?

 突然の訃報から早くも一週間あまりが過ぎました。神田沙也加さん、享年35。主演舞台の控える中、雪の舞う札幌の寒空へ去っていきました。

 ミュージカル女優として確たる地位を得た彼女が何故、自らの死を願わねばならなかったのでしょうか。

 

 

聖子の娘という「十字架」

 

 

 クリスマスが過ぎていよいよ今年もあと数日という今日この頃、しだいに彼女の自死の記憶が人々の脳裏から離れていくことでしょう。しかし、才能に溢れた35歳の若きミュージカル女優の生涯が自らの死によって損なわれても、彼女の魂の叫びに私たちは耳を傾けなくてはなりません。彼女の遺志を無駄にしないためにも。

 

 

 日本の歌謡界が生んだカリスマアイドル、松田聖子の一人娘として沙也加さんは常に世間の注目を浴びながら育ちました。母親と同じ歌手の道を目指して芸能界デビューを果たした彼女には、松田聖子の娘というレッテルがいつもついて回りました。

 

 

 何をやっても母親の影が付きまとい、自分の思い通りにはなりません。それは仕事に限ったことではありません。恋人が現れても母親の影響から逃れることは出来ませんでした。誰もが経験する思春期特有の悩みであっても、彼女の場合には、あまりにも強大な母親の傘下から一歩たりとも抜け出ることは許されなかったのです。

 

 

 恐らく松田聖子と沙也加との関係性は世間のどの母娘とも較べようがなかったはずです。「一卵性母娘」という造語で語られました。そのことは娘の沙也加さんにとっては耐え難かったに違いありません。その結果、聖子に対して凄まじい反抗心を燃やして、一時期は母親と断絶状態にありました。

 

 

 沙也加さんがデビューしたての頃、聖子はディナーショーに娘を参加させて、集まった観客に向かってこう語るのです。

「さあ、皆さん、こちらをご覧ください。今日は沙也加ちゃんが来てくれたんですよ!」

 すると客席の沙也加さんをスポットライトが照らし出し、彼女は母親のディナーショーを盛り上げる演出としての役割を果たすべく、やむなく満面の笑みで母親にエールを送ったのです。

 

 

 聖子にとって沙也加は実の娘であると同時に自分を盛り立ててくれる重要な”アイテム”でもありました。そんな状況に沙也加さんはいつまでも自立できず、母親の添え物的な存在に甘んじることに耐えねばなりませんでした。

 忍耐にも限度があります。偉大過ぎる母親の”傘下”から抜け出そうともがき続けるうちに、いつしか母親への思いが愛情から憎悪へと変化していったのは自然の成り行きだったといえるでしょう。

 

 

「神田沙也加」の誕生

 

 

 悩み苦しむ娘に救いの手を差し伸べたのは他でもありません。聖子と離婚して以来、蒲池家(聖子の本名)とは疎遠になっていた神田正輝です。神田は沙也加から相談を持ち掛けられ、神田姓にするようにアドバイスしたのです。SAYAKAから沙也加、そしてついに神田沙也加を名乗るようになった娘に、さすがの聖子もこれまでのように自分の添え物的な扱いを改め、一人の自立した歌手として認めざるを得なくなったのです。

 

 

 神田沙也加として母親の下を去り、歌手、女優としての道を真剣に模索していくうちに、もって生まれた美しい声を生かし、むろん地道な努力の賜物なのでしょう、舞台女優の中でも歌って踊れるミュージカルスターの地位を獲得したのです。そこまでの道のりは決して平坦ではなかったはず。いつも「聖子の娘」というレッテルが付いて回り、「神田沙也加」としての実力を認めてくれないジレンマに苛まれたのです。

 

 

 さる舞台のオーディションでのこと。数多くのライバルたちの中から自分が選ばれたというのに、彼女はそれが例の「聖子ブランド」の威光があったからではないかと疑い、舞台監督に直接、聖子の娘だから自分を選んだのかと質問したといいます。監督は即座に、あなたは他の誰よりも優れていたから選ばれたのだと答え、彼女の疑念を否定したのです

 

 

 映画『オール・ザット・ジャズ』に、演出家のジョー・ギデオンがあるグラマラスな女優を自分の舞台の出演者に選出した後、やはりその女優と一夜を明かしたというエピソードがあります。ショービジネスの世界はそうした裏話に事欠かないようですが、今ならすぐに「セクハラ」か「パワハラ」か、またはその両方で訴訟沙汰になるかもしれませんね。

 米国・ブロードウェイでの話ですから日本とは事情は異なるでしょうが、二世タレントには常に偉大な親の威光が付いて回るものです。ましてや沙也加さんの場合には、水戸黄門の印籠並みに強力な「松田聖子」という肩書がモノを言うのですから、たとえ努力して鍛え上げた歌唱力があっても、自分が選ばれたのは”忖度”あってのことかしらと疑いを抱いたのも無理ありません。

 

 

 松田聖子や沙也加ちゃんの声ということを一切考えずに、歌声だけを聞いてみてください。よく聴くと聖子の声質によく似ていることに気付くかもしれませんが、なかなかの美声と歌唱力であることには異論がないはずです。有名なディズニー映画『アナと雪の女王』のアナの吹き替えを務めた沙也加さんの何と堂々たる歌いっぷりでしょう。もう誰も彼女を「聖子の娘」と呼ぶことはありません。神田沙也加という新たなミュージカルスターが誕生したのですから。

 

 

 今年のNHK紅白歌合戦に出場が決まっていた松田聖子は、娘の突然の死に打ちひしがれ、「歌えない」と周囲に語り、すべてのディナーショーをキャンセルし、紅白出場も辞退することを表明しました。一人娘が雪の札幌で荼毘に付された後、19年ぶりに元夫の神田正輝と喪服姿でマスコミの前に現れた時、涙を見せずに精一杯、気丈に振る舞っていたあの姿が憐れでなりません。

 

 

 あの日、激しく雪が体を打ち付ける中、ホテルの上層階から雪の中に舞っていった一人のミュージカル女優のことを忘れてはなりません。クリスマスも正月も過ごすことなく、彼女は本当に「雪の世界」に旅立って行ったのです。

 将来のある若い人が自ら死を選ぶということを、そうした若者が後を絶たないことを、私たちは深く深く考えなければいけません。

 

 

 

 

 

林外相の『イマジン』が世界中に届きますように!

 海外の政治家に較べとかく”武骨”なイメージのある日本人政治家ですが、林芳正外務大臣は例外のようです。何と夕食会の余興ながらもピアノでビートルズナンバーを披露したというのです。

 

 

きな臭い国際情勢の下で

 

 

 英国で開催されたG7外相会合の初日にあたる11日、イングランド中西部の都市・リバプールで主要七か国の外相が会し、中国やロシアなどの地域情勢について話し合いが持たれました。来年に開催予定の北京五輪についても米国、英国、カナダなどの西洋諸国が外交的ボイコットを決定する中、林外相は日本政府の立場を説明しつつ、国益の観点から総合的に判断する旨、発言しました。

 会談の合間に韓国側からの求めに応じて数分間の立ち話程度の話し合いも行われたとのことですが、当然ながら冷え切った両国間の関係改善に向けた前向きな話には至らず物別れに終わった模様。当然です。

 

 

 深刻度を増す国際情勢を銭形平次のように銭を飛ばして解決できるのなら良いのですが、実際には日韓関係以上にもつれにもつれた”謎”ではなくて国際関係ともなれば、たとえ今回のG7に参集した知恵者でもなかなか難しい。ましてや、バイデン大統領が民主主義と専制主義の戦いだとして中国を厳しく批判すれば、一方の中国の習近平国家主席は米中対立を新冷戦と呼ぶ始末ですから、尚更のことです。

 

 

 そんな緊迫した雰囲気の中、会合の後の夕食会でこんな洒落た一幕がありました。夕食会の会場となったリバプールビートルズ・ストーリー博物館で、ジョン・レノンの展示ブースに置かれた白いピアノで林氏が言わずと知れた名曲『イマジン』を弾いて見せたのです。

 林氏によれば、誰かに弾いていいよと勧められたので、せっかく『イマジン』の部屋であればということで即興で三分の一ほど弾いたといいます。

 

 

 どこかの知事が東京五輪の金メダルをいきなり歯を剝きだしてガブリと齧ったのとは大違いで、林氏の即興演奏には各国外相からやんやの拍手を送られた模様です。

 林氏は大のビートルズファンで知られ、ご自身もメンバーに加わる国会議員らによる音楽グループ「Gi!nz(ギインズ)」でビートルズのナンバーをレパートリーにしていたと言いますから、本場・リバプールでしかもレノンのピアノで『イマジン』を披露出来たことに大いに感動し”陶酔”したに違いありません。

 

 

 即興演奏とはいえ、林氏にとっては同曲は得意中の得意ナンバーだったはず。残念ながらその時のピアノ演奏を聴くことが出来ませんが、演奏の出来不出来よりもきな臭い国際情勢の最中に開催されたG7でジョン・レノンの『イマジン』が演奏されたことに意義があります。

 

 

色褪せない「メッセージ」

 

 

 想像してごらん

 天国も地獄もないってことを

 ただお空がひろがっているだけって

(中略)

 想像してごらん

 国なんてないってことを

 ちょっと難しいかもしれないけど

 何人も殺しあったり殺されたりしないってことを

 宗教の違いさえもないことを

 

 

 拙訳で恐縮ながら少しだけ歌詞を書き出してみました。するとどうでしょう。米国がベトナム戦争の泥沼から抜け出せないであえいでいた時代に作られた曲ですが、この曲が生まれてから50年も経つと言うのに、現在の国際情勢下でも少しもこの歌のメッセージは色褪せていないことに気付かされます。ジョンの魂は今も生き続けているのです。

 

 

 今や軍事的にも経済的にも世界の覇者になりつつある巨大国家・中国と、民主主義国家の代表・アメリカ合衆国との”新冷戦”の時代にあって、ベトナム戦争当時よりもさらに『イマジン』の歌詞が持つメッセージの崇高さに気付かされ、驚愕するばかりです。

 

 

 三人集まれば文殊の知恵といいますが、G7には文字通り七名の各国外相が参加して国際問題について話し合うのです。きな臭い国際情勢を治める賢明なる政治家の力に期待したいところです。

 むろん戦後最悪の事態といわれる「新型コロナウィルス」に各国がどう対応すればよいのかも、重要な議題です。幸いにも日本国内では感染状況は落ち着きつつありますが、調子に乗って「ウィズ・コロナ」に大きく舵を切り過ぎるとまた必ず感染拡大という揺り戻しに見舞われるはず。そうならないためには、G7の各国代表の話し合いも大事ですが、私たち一人一人の心掛けも大切です。

 

 

 G7は主要七か国の政府間の政治会合が主な目的ですが、世界をリードするそれらの国々の要人が一堂に会することで、”きな臭い”諸国の暴走を抑止するという効果もあります。主要国の政治家が国際的な課題について話し合う場を持つことに意義があるのです。そうした「場」で平和国家である日本の外相が奇しくも『イマジン』をピアノ演奏したというのは感慨深いではありませんか。

 

 

 林外相のビアノ演奏による『イマジン』のメッセージが、ジョンの魂と共に世界平和を希求する世界中の人々に届きますように。

 ピース!!

 

 

 

 

「オミクロン株」は習近平が放った「生物化学兵器」かもしれません!

 新型コロナの感染爆発で一時は医療崩壊の危険性が叫ばれたのはつい数か月前のこと。ところがその後、何故か日本では新規感染者数が減少に転じ、現在に至ります。感染状況が急速に改善されたその理由については、専門家の間でさえも不明だそうです。

 何はともあれ、秋篠宮家のご長女の眞子さんが十年来の恋を実らせて無事にニューヨークで新婚生活をスタートさせられたというおめでたいニュースと共に今年こそ平和な年末を迎えられそうかと思いきや、何だか俄かに雲行きが怪しくなりつつあります。そうです。「デルタ株」に続いて南アフリカで発生して今後、パンデミックの嵐が吹き荒れそうな兆候が表れたからです。

 

 

「”臭い”オミクロン」

 

 

 「オミクロン」と命名されたこの新種株はこれまで確認された変異株の順番からすると12番目で、これをギリシャ文字に当てはめると「クサイ」となります。英語上記では習近平氏の「習」と同じ英語読みになるため、あえて一つ順番を飛ばして「オミクロン」とWHOは命名したと言われています。

 

 

 トランプ前アメリカ大統領はかつて自身のツイッターで度々、WHOと中国の密接な関係を批判していましたが、確かに習近平の苗字と重なることを避けてわざわざ「クサイ」の名称を付けなかったのは、いささかクサイと言わざるを得ません。WHOへの拠出金が最も多いのは米国であり、中国は二番目というのに、同機関が中国寄りの方針を取り続けていることにトランプ前大統領が怒り心頭だったのも無理ありません。

 

 

 「COVID-19」はトランプ氏が指摘したように「チャイニーズ・ウィルス(ヴァイラス)」であることには異論はありません。ところが中国はこの新型ウィルスの発生源を特定するどころか、WHOの調査チームが武漢入りすることさえも邪魔しようとしたことは周知のとおりです。そして、渡り鳥や野生動物などが他所から彼の地に持ち込んだなどと根拠も示さずに強弁して、最も”怪しい”中国科学院武漢ウイルス研究所への立ち入りも当初、認めようとしませんでした。

 

 

 もっともトランプ前大統領にしても、新型コロナウィルスの起源について、「私と習近平氏は知っている」などとツイッターで”暴露”しながらも、その根拠については口をつぐんだままです。ということは、もしかしたら中国のみならず米国もこの恐るべき”生物化学兵器”の開発に一枚かんでいるのではないかと疑わざるを得ません。

 

 

 日韓両国の関係は戦後最悪となりましたが、米中の関係悪化は「冷戦」時代にも匹敵するとの見方があります。今や米中の暗闘に世界中が巻き込まれていると言っても過言ではありません。いつ、どこで両国の戦争が勃発するかもしれないのです。先日、二国間で突発的な衝突を避けることを確認したとはいえ、依然として第三次世界大戦への危険度が減じたとはいえません。

 

 

 「オミクロン」株を今後、如何にして抑え込むことが出来るか、現在、各国がその対処法について知恵を絞っているところです。いち早くワクチンの三度目の接種を承認したイスラエルでは、国内で「オミクロン」感染者が数名発生した時点で、オミクロンの発祥地である南アとその周辺諸国のみならず、全世界を対象に同国への入国を原則禁止する措置に踏み切りました。「クサイ」物に蓋をする、ということです。それもできるだけ早い段階で行うべきです。

 

 

 各国ともに「クサイ」発生国からの入国制限に乗り出しましたが、むろん日本も同様です。国内に危険なウィルスを持ち込ませないためには、まず水際対策が重要になります。岸田総理は早速、外国人の入国を当面1ヶ月間禁止することを決定しました。以前の内閣では何ごとも対策が後手後手に回り勝ちだったのに比べ、岸田内閣の新型コロナ対策はなかなかのスピード感があります。

 

 

最強の「生物化学兵器

 

 

 「オミクロン」という名称が政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長の苗字に因んで「尾身クロン」というジョークが流行っていますが、日々、感染症対策に粉骨砕身している尾身先生に対してちょっと失礼でしょう。むしろ、習近平に因み「”臭い”オミクロン」とすべきです。

 

 

 科学者でも何でもない筆者が言うのはいささか憚れますが、やはり「新型コロナウィルス」は中国やその他の大国が開発中の「生物化学兵器」ではないでしょうか。それも「最強」クラスの。

 ひと昔前のSF映画では、米国とソビエト連邦(当時)とが核戦争を起こして地球が滅亡するというのが定番の結末でした。米国では今でも大統領が核弾頭の発射を命ずるいわゆる「核のボタン」を持ち歩いているそうですから、ソ連の崩壊後に新たな軍事大国となった中国を相手にいつでも核弾頭を搭載した大陸間弾道弾を発射できる用意はあるわけです。

 

 

 核兵器による最終戦争でなくても、たとえば目に見えない微細な細菌や有害な放射線を発する物質を使用しても、か弱き人類はイチコロです。一溜りもありません。絶えず変異し続けて、文字通り変幻自在にその組成や性質を変化させていく「COVID-19」こそ、最も恐るべき「生物化学兵器」の一例ではないでしょうか。

 

 

 トランプ前大統領の主張に全面的に賛同するわけではありませんが、この人類を滅亡させるかもしれない「新型コロナウィルス」を少なくとも大国・中国は所持していたわけです。換言すれば、それほどまでに中国の生物化学兵器の開発は進歩していたことに他なりません。そしてついに「パンドラの箱」を開けてしまったのです。

 

 

 人類存亡の機に瀕しかねない恐怖の「生物化学兵器」の暴走を止めるためには、もはやすべての王様の家来を以てしても不可能かもしれません。もはや八百万の神におすがりする他なさそうです。