明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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「神田沙也加」さんの遺志をどう受け止めたら良いのでしょうか?

 突然の訃報から早くも一週間あまりが過ぎました。神田沙也加さん、享年35。主演舞台の控える中、雪の舞う札幌の寒空へ去っていきました。

 ミュージカル女優として確たる地位を得た彼女が何故、自らの死を願わねばならなかったのでしょうか。

 

 

聖子の娘という「十字架」

 

 

 クリスマスが過ぎていよいよ今年もあと数日という今日この頃、しだいに彼女の自死の記憶が人々の脳裏から離れていくことでしょう。しかし、才能に溢れた35歳の若きミュージカル女優の生涯が自らの死によって損なわれても、彼女の魂の叫びに私たちは耳を傾けなくてはなりません。彼女の遺志を無駄にしないためにも。

 

 

 日本の歌謡界が生んだカリスマアイドル、松田聖子の一人娘として沙也加さんは常に世間の注目を浴びながら育ちました。母親と同じ歌手の道を目指して芸能界デビューを果たした彼女には、松田聖子の娘というレッテルがいつもついて回りました。

 

 

 何をやっても母親の影が付きまとい、自分の思い通りにはなりません。それは仕事に限ったことではありません。恋人が現れても母親の影響から逃れることは出来ませんでした。誰もが経験する思春期特有の悩みであっても、彼女の場合には、あまりにも強大な母親の傘下から一歩たりとも抜け出ることは許されなかったのです。

 

 

 恐らく松田聖子と沙也加との関係性は世間のどの母娘とも較べようがなかったはずです。「一卵性母娘」という造語で語られました。そのことは娘の沙也加さんにとっては耐え難かったに違いありません。その結果、聖子に対して凄まじい反抗心を燃やして、一時期は母親と断絶状態にありました。

 

 

 沙也加さんがデビューしたての頃、聖子はディナーショーに娘を参加させて、集まった観客に向かってこう語るのです。

「さあ、皆さん、こちらをご覧ください。今日は沙也加ちゃんが来てくれたんですよ!」

 すると客席の沙也加さんをスポットライトが照らし出し、彼女は母親のディナーショーを盛り上げる演出としての役割を果たすべく、やむなく満面の笑みで母親にエールを送ったのです。

 

 

 聖子にとって沙也加は実の娘であると同時に自分を盛り立ててくれる重要な”アイテム”でもありました。そんな状況に沙也加さんはいつまでも自立できず、母親の添え物的な存在に甘んじることに耐えねばなりませんでした。

 忍耐にも限度があります。偉大過ぎる母親の”傘下”から抜け出そうともがき続けるうちに、いつしか母親への思いが愛情から憎悪へと変化していったのは自然の成り行きだったといえるでしょう。

 

 

「神田沙也加」の誕生

 

 

 悩み苦しむ娘に救いの手を差し伸べたのは他でもありません。聖子と離婚して以来、蒲池家(聖子の本名)とは疎遠になっていた神田正輝です。神田は沙也加から相談を持ち掛けられ、神田姓にするようにアドバイスしたのです。SAYAKAから沙也加、そしてついに神田沙也加を名乗るようになった娘に、さすがの聖子もこれまでのように自分の添え物的な扱いを改め、一人の自立した歌手として認めざるを得なくなったのです。

 

 

 神田沙也加として母親の下を去り、歌手、女優としての道を真剣に模索していくうちに、もって生まれた美しい声を生かし、むろん地道な努力の賜物なのでしょう、舞台女優の中でも歌って踊れるミュージカルスターの地位を獲得したのです。そこまでの道のりは決して平坦ではなかったはず。いつも「聖子の娘」というレッテルが付いて回り、「神田沙也加」としての実力を認めてくれないジレンマに苛まれたのです。

 

 

 さる舞台のオーディションでのこと。数多くのライバルたちの中から自分が選ばれたというのに、彼女はそれが例の「聖子ブランド」の威光があったからではないかと疑い、舞台監督に直接、聖子の娘だから自分を選んだのかと質問したといいます。監督は即座に、あなたは他の誰よりも優れていたから選ばれたのだと答え、彼女の疑念を否定したのです

 

 

 映画『オール・ザット・ジャズ』に、演出家のジョー・ギデオンがあるグラマラスな女優を自分の舞台の出演者に選出した後、やはりその女優と一夜を明かしたというエピソードがあります。ショービジネスの世界はそうした裏話に事欠かないようですが、今ならすぐに「セクハラ」か「パワハラ」か、またはその両方で訴訟沙汰になるかもしれませんね。

 米国・ブロードウェイでの話ですから日本とは事情は異なるでしょうが、二世タレントには常に偉大な親の威光が付いて回るものです。ましてや沙也加さんの場合には、水戸黄門の印籠並みに強力な「松田聖子」という肩書がモノを言うのですから、たとえ努力して鍛え上げた歌唱力があっても、自分が選ばれたのは”忖度”あってのことかしらと疑いを抱いたのも無理ありません。

 

 

 松田聖子や沙也加ちゃんの声ということを一切考えずに、歌声だけを聞いてみてください。よく聴くと聖子の声質によく似ていることに気付くかもしれませんが、なかなかの美声と歌唱力であることには異論がないはずです。有名なディズニー映画『アナと雪の女王』のアナの吹き替えを務めた沙也加さんの何と堂々たる歌いっぷりでしょう。もう誰も彼女を「聖子の娘」と呼ぶことはありません。神田沙也加という新たなミュージカルスターが誕生したのですから。

 

 

 今年のNHK紅白歌合戦に出場が決まっていた松田聖子は、娘の突然の死に打ちひしがれ、「歌えない」と周囲に語り、すべてのディナーショーをキャンセルし、紅白出場も辞退することを表明しました。一人娘が雪の札幌で荼毘に付された後、19年ぶりに元夫の神田正輝と喪服姿でマスコミの前に現れた時、涙を見せずに精一杯、気丈に振る舞っていたあの姿が憐れでなりません。

 

 

 あの日、激しく雪が体を打ち付ける中、ホテルの上層階から雪の中に舞っていった一人のミュージカル女優のことを忘れてはなりません。クリスマスも正月も過ごすことなく、彼女は本当に「雪の世界」に旅立って行ったのです。

 将来のある若い人が自ら死を選ぶということを、そうした若者が後を絶たないことを、私たちは深く深く考えなければいけません。