明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「待つこと」と「待たされること」の大きな違いとは

 おみくじを引くと、そのくじには「待ち人来らず」との文言が書かれていることがあります。待ち人とは、約束の時間を違えたりして、なかなか来てくれない人のこととは限りません。会いたくてもなかなか会えない友人が遠路はるばる来訪してくれる日を待ちわびている、という風に私は解釈するのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 

「待つこと」と「待たされること」

 

 

 世の中には時間にルーズな方も結構いらっしゃいます。待ち合わせ場所に指定の時間になってもなかなか現れなかったり、約束そのものをすっぽかすなどという不届き者も時々見られます。そういうだらしがない方はきっと「待たされること」のつらさをご存知ないのでしょう。そのくせ、蕎麦屋の出前が少しでも遅れると矢の催促です。要するに、自分の都合しか考えられないのです。もっとも蕎麦屋蕎麦屋で催促されても、どこ吹く風で、「今、出ました」などと適当なことを言いますから、この場合には、どっちもどっちかもしれません。

 

 

 古典落語に「長短」という噺があります。気の短いことで知られる江戸っ子気質の人とのんびりとマイペースな方とが珍妙なやり取りをするところが笑いを誘います。何ごともどっしりと構えて動じない性格の方ならば、多少、約束の時間に遅れてきた人に対しても鷹揚に対応するのでしょう。でもこちとら”江戸っ子”は、いつ来るかもしれない人を気長に待ち続けるのは大の苦手です。「待たされること」のつらさは、江戸っ子だけではなく、誰もが自分がそうした立場に置かれたら、身に染みて理解できるはずです。

 

 

 今ではスマホという文明の利器があるお陰で、多少の待ち時間はスマホいじりで紛らわすことが出来るようです。

 ファミレスでこんな光景を見かけました。一人で四人掛けのボックス席を陣取っている客がいて、ずっとスマホをいじっていました。かれこれ30分以上過ぎたところで、そこに三人組が合流して、ようやく食事をオーダーしました。

 多分、何らかの理由で約束の時間に遅れてきたであろう三人は、一人で待たせてしまった友人に対して謝罪するでもなく、言い訳すらなしに、当たり前のようにただ注文した料理を黙々と食べました。そして食後には、四人がめいめいにスマホの画面とにらめっこを始めたのです。その間、彼らの間で交わされた会話らしき会話はほとんど聞かれませんでした。

 

 

 スマホをいじりながら食事をするだけなら、何も誰かと一緒に食事をすることもあるますまい。何よりも約束の時間に遅刻したことに対して、ひと言もなかったのには呆れてしまいました。多分、スマホの世界に入り込むと、友人との邂逅などどうでもよくなるのかもしれませんね。

 

 

 待つことと待たされることには、実は大きな違いがあるのです。「待つこと」とは自ら進んで能動的にある瞬間が訪れるのを待っている状態を言います。一方、「待たされること」は自らが望んでいないのに、仕方がなくその瞬間が来る時を待つ状態を指します。

 「待たされる」ことは苦痛ですが、「待つこと」は時にワクワクドキドキしながら心待ちするのですから、楽しみにもなります。この差は大きいと思いませんか。

 

 

待つだけの「甲斐」はある

 

 

 引き当てたおみくじに「待ち人来らず」とあったら、来訪を待ち望んでいる知人や友人がなかなかやってきてくれない、早く遊びに来てくれないかなぁと待ちわびている状態なのですから、決して悪い意味ではないと思うのです。少なくとも能動的に待っていて、「待たされている」わけではありません。待たされるのはつらいことですが、待つのも悪くありません。待てば海路の日和ありという諺がありますが、海路を甘露と言い換えることもあります。待つだけの甲斐はあるのです。

 

 

 昨年の11月頃に洗面台の蛇口に不具合が起きました。すぐに工務店に修理を依頼したところ、もうその型のものは製造されていないとのことでした。ちょっとレトロなデザインが気に入っていたので、残念に思いましたが仕方がありません。工務店側が勧める製品のカタログを見ながら、比較的安価な製品をセレクトしたのです。でも、それからが問題でした。

 

 

 拙宅の洗面台には所謂蛇口とシンクなどがセットになっているものではなく、それぞれ別々のメーカーの商品を選んでいたため、交換するにも、わざわざ専門の職人に依頼する必要がありました。新しく蛇口を選んだ後も、年末年始を挟むから職人の手配が出来ないやら、スケジュールがなかなか取れないなどと言われるうちに、とうとう年明けどころかつい先日になってようやく取り付け工事が完了したのです。

 

 

 ところが新たに設置された蛇口がシンクの取り付け位置に微妙に届かなかったのです。それでも何とか温水を出してシンクのぎりぎりのところに水が落ちることは落ちるのですが、どう考えてもサイズが合いません。そのため、温水がようやく指先にちょろちょろ当たる程度なので、満足に顔も洗えないのです。さすがに、工務店にシンクに十分に届くようなサイズの蛇口と交換してほしい旨、申し入れました。

 

 

 工務店側ははじめ蛇口の交換には渋っていましたが、サイズに合わない商品を勧めてきた方のミスだから、是非とも交換に応じるべきだと強く主張したところ、何とか新品と取り換えてくれることになりました。でもまだ納期はだいぶ先になりそうなので、当分の間、指先にしか水が当たらない、不便この上ない蛇口で辛抱するしかありません。

 今朝も洗顔する時に、思わずチッ!と舌打ちしてしまいました。これでは気持ち良いはずの朝が台無しです。ジャストサイズの新しい蛇口が早くやってこないかと待ち続けるほかないのですから仕方がありません。この場合には、能動的に「待つ」のではなく、「待たされる」が適当だと思われます。