明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「本」の価値について考える

 たとえ混雑した通勤電車の中でも、わずかなスペースにもかかわらず単行本を開いて、読書に勤しむ会社員の姿をよく目にします。普段忙しくて読書の時間が十分にとれないため、そんな窮屈な思いをしてでも本を読みたいという気持ちなのでしょう。時間的な余裕がない人ほど、読書量は案外多いのかもしれません。もし多忙な人と暇な人の読書量の差を調べた統計があったら、きっと前者の方が多いと思います。ご存知の方は、是非教えてください。

 

 私はそれほどの読書家ではありませんが、本を読むことに楽しみを感じています。もし無人島に一冊だけ本を持ち込むとしたら、どんな本を選ぶかと質問したがる人がいます。もしあなたがそのような質問を受けたら、どう答えるでしょうか。私はとても答えられそうにありません。なぜならば、たった一冊では到底満足できるはずがないからです。活字中毒の人を本の虫などと侮蔑的な表現で呼ぶことがありますが、大の読書家のどこが悪いのかと言いたくなります。

 

 読書する時間があるなら、世界の株式市況を見て株の売り買いをした方がいいというのも、ひとつの価値観だと思います。お金が何よりも大事で、資産運用こそが最も大切な仕事だと言い切る人もいるでしょう。そういえば、かつてお金を儲けて何が悪いのかと大見得を切った御仁がいましたが、それもそれで価値観です。でも私などはお金儲けよりも好きな本を読んでいたいと思う。本は人類の宝であり文明の証です。とはいえ、遊ぶ暇があるなら本を読みなさいと押しつけがましくいうつもりは毛頭ありません。ただ、読書は心を豊かにしてくれるものだと確信しているだけです。金儲けに直接的に結びつかなくとも、読書することで心に少しずつ”貯金”が増えていくように思うのです。

 

 最近、最小限の持ち物で満足するミニマリストが増えつつあります。そういう人たちは読書するにもkindle電子書籍を利用し、スマホで月刊誌や週刊誌を読み、新聞も電子版です。書籍や雑誌などの紙媒体は衰退の一途を辿る運命にあるようですが、すべての紙媒体がなくなるとは考えにくい。ミニマリストは別として、好きな作家の本は手元に置いておきたいという人が、一人もいなくなるとは思えないからです。本好きならば、新刊の単行本を手にした時のあの重みと印刷された活字のインクの匂いが堪らないと感じるはず。ポケットに収まる文庫本もいいけれども、やっぱり重量や嵩のある単行本を所有する喜びは大きいものです。

 

 所有欲。人間には必ず所有したい、独り占めしたいという欲求があるものです。電子書籍で文字情報をkindleにダウンロードするだけで、果たして生来の所有欲が完全に満たされるでしょうか。50代に差し掛かった年齢の私は、幸か不幸かまだ電子情報だけでは所有欲を満たすことが出来ません。やっぱり村上春樹の新作が発売されるたびに、前夜から書店前に出来る行列に加わることはないけれども、さっそく書店に行って初版本を買い求めます。『騎士団長殺し』が書店の最前列の特設売り場でピラミッドのように山積みされている光景を見て、逆に購入意欲が薄らいだりもしましたが、それでも上下巻を同時に買いました。そして早く読みたいという気持ちから、帰る道すがら本を開き、電車の中でも読みながら自宅に戻ったものです。寝る間も惜しんで、あっという間に読了しました。新刊の単行本をいち早く読むことには不思議な優越感があるものです。

 

 本好きにとって書棚はまるで宝の山のようなものです。大好きな村上春樹の単行本は大体揃っていて、棚に並べてあります。文庫本は単行本より版型が小さく、単行本と一緒に並べると見栄えが良くないので、別の棚に並べました。本は財産だと思っていますから、大切に書棚に収めてありました。ところが、数年前に引越しすることになって、これまで大事に保管していた本のすべてを持ち出すことが叶わなくなりました。引っ越しの期限が迫るにつれて、ついに私は泣く泣く蔵書の半分以上を手放すことにしたのです。子供の頃から本は大切なものだと教え込まれていましたし、蔵書に対して強い愛着をもっているが故に、手放す時は本当に涙が零れそうになりました。

 

 大量の本を自分で古本屋に持ち込むほどの体力はなかったので、引き取りに来てくれる業者を探すことにしました。BOOKOFFに依頼して、本を段ボール箱に詰めて、玄関先に山積みにしました。段ボールの数は30箱から40箱ほどにもなりました。たちまち玄関とつづく廊下は段ボールでほぼ埋め尽くされ、人ひとりがやっと通り抜けられるだけのスペースしかありませんでした。

 

 さて、約束の時間通りに業者が引き取りに来ました。家族も加わって、ひと箱ずつ業者の手に段ボールを手渡しして、3、40分ほどですべてが業者のトラックに収まりました。ほぼからっぽの状態となった本棚を見て、本当にもったいないことをしたと後悔の念にかられました。でもそれは仕方がないことと諦めるよりほかありません。

 

 引き取られた本の買取価格の合計金額が後日、銀行口座に振り込まれました。その金額を見て私は目を疑いました。ぎっしりと詰め込まれた段ボール40箱分の本の買取価格が何とたったの6000円にも満たない金額だったのです。これは何かの間違いだろうと何度も数字を読み返しても、6000円という数字に違いはありません。愕然として言葉を失いました。私はあまりのショックにすっかり落ち込み、鬱状態になりました。あれだけの冊数の本ですから、買取価格は最低でも3万円は下らないだろうと考えていたのです。やむなく売り払った本のお金です。せめておいしい鰻を食べに行こうと家族には話していたのに、この金額ではラーメン屋さんがせいぜいでしょう。がっくりと肩を落とすしかありませんでした。

 

 この買取金額からすると古新聞の引き取りとさほどの差はないように思います。要するに、人類の叡智が詰まった書籍という文化的価値をお金に換算すると、実に紙の代金にしかならないということです。いや、本当は買取金額自体はもっと高かったのかもしれません。人件費即ち運送屋さんの手間賃を差し引いたら、あんな金額しか残らなかったのだと考えることにしました。確かに運送屋さんのお兄さんは汗びっしょりで重い段ボールをトラックの荷台に運び入れていたのですから、相応の手間賃は支払わなければなりません。お疲れ様と労いの言葉を掛けるべきなのでしょう。

 

 長年、大切に本棚に保管していた文化財たる書籍がただの紙切れ同然の値段だったという事実を突き付けられて、私はとても複雑な気持ちになりました。本の価値ってそんなものなのでしょうか。本当にそれで良いのでしょうか。

 

 結局、ラーメン屋には行きませんでした。ラーメンも好きですけれど、その時は意地でも鰻屋でおいしい鰻をいただきましたよ。