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今年も受賞なし「村上春樹」はうつの味方なのです

 またまた日本人が快挙を成し遂げた。といっても、ラグビー日本の話ではなく、ノーベル賞のことです。今年のノーベル化学賞旭化成名誉フェローの吉野彰氏他三人が選ばれたニュースを聞いて、日本人が世界で認められることは素晴らしいことだと感動された方も多いかと思います。

 

 

 ところで、皆さんは化学賞よりも文学賞は誰が受賞するのだろうかとむしろそちらの方が気になりませんでしたか。熱狂的なハルキストほどではありませんが、私も毎年ノーベル賞の発表を前に、今年こそは村上春樹の受賞を期待する一人です。やっぱり今年も受賞はなりませんでしたね。残念。

 

 

 何でも昨年は選考委員のスキャンダルを受けて、昨年は発表を見送られ、今年は二年分の文学賞を発表する形となったそうです。となると世界のムラカミは二年連続して落選したことになり、誠に残念無念というよりほかありません。ハルキストの中には二年分、悔しがった方もいらしたかと思います。

 

 

ノーベル文学賞の不思議

 

 

 それにしても、’16年のボブ・ディラン、17年はカズオ・イシグロが受賞した際に、意外な感じもしたものです。とくにボブ・ディランノーベル文学賞かよと驚かされました。だってディランはアメリカを代表するシンガーソングライターですよ。誰も文学者とは思いません。確かに『風に吹かれて』や『時代は変わる』など数々の名曲を生み出した功績は認められてしかるべきですが、グラミー賞ならいざ知らず、文学賞に歌手が選ばれたのには、少々違和感を覚えた方も多かったと思います。

 

 

 カズオ・イシグロは長崎出身の日系英国人ですが、当然ながら作品はすべて英語で書かれたものです。何となく日本人が受賞したような印象を持ってしまいますが、実際にはイギリス人であり、日本人ではありません。『遠い山なみの光』は日本を舞台にした小説ですが、代表作と言われる『日の名残り』は英国の貴族社会を扱った作品。『日の名残り』以降の彼の作品には日本とは無関係な作風です。

 

 

 『日の名残り』は大好きな小説で何度も読み返しましたが、その都度、静かな感動に包まれます。トーマス・ハリスの小説を映画化した『羊たちの沈黙』『ハンニバル』に登場するレクター博士に扮したのが、名優の呼び名も高いアンソニー・ホプキンス。そのせいで、映画『日の名残り』で主役を演じたホプキンスが何となくあの恐るべきサイコパスのイメージと重なってしまうのが辛いところです。

 

 

 それはさておき、ノーベル文学賞に輝いた『忘れられた巨人』はイシグロ氏本人が語るところによると、記憶の曖昧さ、不確かさがテーマだそうです。確かに読み応えのある小説ですが、『日の名残り』ほどの感動作とは思えません。もっともノーベル文学賞にはとくに感動的なストーリーである必要はないようですから、あの小説を読んで、面白かったな、また読み返したいなとは思えなくても構わないわけです。とはいえ、記憶をテーマにした小説なら、20世紀最大の文学作品と呼ばれる『失われた時を求めて』があるじゃないかと言いたくもなります。

 

 

 『忘れられた巨人』の前作にあたる『わたしを離さないで』はTBSの連ドラにもなり、綾瀬はるかが主演していましたね。臓器移植を巡り、人間の尊厳とは何かをテーマにした作品ですが、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏が人工臓器につながるiPS細胞の研究で成果を挙げた後では、どうしても陳腐に感じてしまう。それに私ごときがこんなことをいうのも生意気なのですが、文学作品としてもさほどのものでもないような気がするのです。

 

 

ハルキ・ムラカミの受賞は

 

 

 とにもかくにも、カズオ・イシグロ氏はノーベル文学賞を受賞しました。で、ハルキ・ムラカミはいつ受賞できるのか、ますます気になりますよね。あくまでも個人的な考えですが、残念ながら世界のハルキはなかなか受賞できないのではないかとも思えるのです。ジャズ喫茶を営業しながら書いた『風の歌を聴け」は最初読んだ時には、西洋かぶれの妙にカッコいい作風だなくらいにしか思いませんでしたが、その後、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』まで読んで、これまで日本の作家にはなかったような無国籍な感覚と巧みな比喩を駆使した独特の文体にすっかり参ってしまいました。皆さんもそうだと思います。

 

 

 私はハルキストの端くれとして、言いたいことがあります。村上さん、最近ちょっとお疲れなのではないでしょうか、と。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』やそれより前の『アフターダーク』。う~ん。『海辺のカフカ』『1Q84』は賛否両論あるものの、面白く読みました。で、長編の近作『騎士団長殺し』はどうでしょうか。アメリカ文学の金字塔と呼ばれる『グレート・ギャツビー』をモチーフにしているそうですが、村上氏がもっとも優れた小説と絶賛する同作品を今さら持ち出すのは如何なものかとも思えるのです。

 

 

 残念ながら、『騎士団長殺し』は前評判が高かったわりには、意外にも本の売れ行きはさほどでもなかったそうです。むろん、ベストセラーには違いありませんが、出版社の思惑ほどは売れなかったという意味です。皆さんも本屋さんで、シャンパンタワーのようにあの本が山積みされているのをご覧になったはずです。でも発売後しばらく経っても、まだ山積みのまま本がたくさん売れ残っていました。書店の中には、わざわざ初版本あります!などと宣伝しているところもありました。

 

 

村上春樹の小説はうつの味方です

 

 

 繰り返しますが、私はハルキストのつもりです。でもはっきり言わせていただきます。最近の村上春樹の作品は以前ほどの勢いがなくなったように思えてなりません。この先、村上氏が世界中があっと驚くような大傑作を生みだしてくれることを願ってやみません。その時には、必ずやノーベル文学賞を受賞することでしょう。でもそれはいつのことか、誰にもわかりません。来年かもしないし、十年後かもしれません。ファンとしては待ち続けるよりほかありませんね。

 

 

 ところで、村上春樹の作品に登場する人物たちはどこか一風変わっています。世間一般の常識では測れない、独特なキャラクターといえそうです。そしてある時に、気づいたのです。彼らは内向的な人間で、もしかしたらうつ的な気質の持ち主ではないでしょうか。いや、そんなことはないと言われても、反論するつもりはありませんが、私にはうつ的な傾向を持った人々に感じるのです。こんなことをお話しすると、正統派ハルキストから叱られそうですが、私自身がうつ病になってから、何となくそんな風に感じるようになったのです。

 

 

 とはいえ、作品の登場人物たちは後ろ向きの考えの持ち主ではありませんし、いつも暗く沈んでいるわけでもありません。でも陽性のキャラクターはあまり出てきませんね。どこか心の奥底に暗い部分を秘めているような、そんな感じがするのです。むろん全部が全部、そうではありませんけれども。でも読んでいて、つい自分と小説の主人公たちを重ね合わせてしまいます。私を含めてうつの方々が読むと、何だか村上春樹さんは味方になってくれているような気がしてならないのです。あなたはどう思われますか。