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寅さんに求愛したマドンナ「八千草薫」さん逝く

 また昭和の灯りがひとつ消えました。女優・八千草薫さんがすい臓がんで亡くなられたことは、皆さんもニュースでご覧になったかと思います。

 

 八千草さんは昭和を代表する女優の一人で、映画以外にテレビドラマの世界でも確固たる地位を築いた方でした。

 

 八千草さんの芸歴は長く、宝塚の娘役スターとして人気を博した時も、映画に出演するなど幅広きく活躍したことで知られています。清純派女優というイメージそのものの清楚で日本美人の典型のような容貌は、のちにテレビの世界でも日本のお母さんという役柄にぴったりでした。

 

 皆さんは八千草さんのどの作品がお好みでしょうか。『岸辺のアルバム』のこれまでの良妻賢母とは少し違った、不倫もする冒険的な主婦を演じて話題なりましたね。母と女の間で揺れる女心を見事に演じ切り、その演技は絶賛されました。代表作の一つですね。

 

 

 何しろ出演作品は数知れずあり、どれを代表作とするのか難しいところです。そのあたりは評論家に任せておいて、私は日本映画を代表する『男はつらいよ』のマドンナ役を演じたシリーズ10作目『男はつらいよ 寅次郎夢枕』のことをお話したいと思います。

 

 

寅さんにプロポーズ

 

 

 同映画が公開されたのは、昭和47年。当時、八千草さんは41歳、寅さんこと渥美清は44歳でした。寅さんの妹、さくらの幼馴染役で、寅さんの実家のとらやに下宿している米倉斉加年演じる堅物の東大助教授が八千草さんにひとめ惚れするのです。寅さんも実は密かに八千草さんに淡い恋心を抱いていたものの、二人のキューピット役を買って出たのですが、ここで忘れられない名シーンが登場します。

 

 

 こんなシーンです。寅さんが八千草さんに助教授の話を持っていくと、八千草さんはそれを寅さんのことだと勘違いして、こう話すのです。「私ね、寅ちゃんと一緒にいると、何だか気持ちがホッとするの。寅ちゃんと話していると、ああ私は生きてるんだなあって、そんな楽しい気持ちになるの」と語り、遠回しに寅さんと結婚してもいいというニュアンスを滲ませます。

 すると寅さんは慌てふためき、いつもの照れ臭さからかつい「冗談だろ?」と彼女のプロポーズを茶化してしまうのです。そして、八千草さんは少し考えてから、「そう、冗談よ」と言ってしまいます。もしあの時に、寅さんがいつもの癖を出さずに、真面目に彼女のプロポーズに応えていたら、二人は夫婦になっていたことでしょう。あの場面は本当に大人の情感が溢れていて、忘れられません。

 

 

最高の”マドンナ”役

 

 

 八千草さん演じるマドンナはシリーズで唯一、本気で愛を告白する場面だと思います。もちろん、売れない歌手のリリー役を演じた浅丘ルリ子は何と四回もマドンナを演じていますから、こちらの方がお嫁さん候補の最有力だったのかもしれません。でも、リリーはフーテンの寅さんと似たような、根無し草のような存在で、二人は何度か本当に結ばれそうになりますが、結局、そうはならななかったのです。八千草さんのマドンナこそが寅さんの結婚相手となる可能性が一番高かったのではないでしょうか。

 

 

 とはいえ、もしもシリーズ10作目で寅さんが結婚してしまったら、そこで『男はつらいよ』は完結してしまったことでしょう。山田洋二監督もそれは本意ではなかったのでしょうね。何しろ『男はつらいよ』はシリーズ48作まで続いたのですからね。

 

 

原節子八千草薫

 

 

 昭和を代表する女優としては、小津安二郎監督作品に数多く出演した、原節子の名前も必ず挙がります。ほりの深いエキゾチックな美貌が印象的な原節子に較べて、八千草薫はいかにも日本人的な美人で、二人は対照的ですね。原節子も4年前に亡くなりました。原は小津監督が亡くなった後は、一切の芸能活動を停止して、公の場にも姿を現さないほどの徹底ぶりでした。八千草よりも11歳年上の原は映画の世界のみで生きたのに対して、八千草はテレビ界にも活躍の場を広げて人気女優となりました。女優としての生き方も二人はまったく対照的です。

 

 

 銀幕の中だけで生きた原節子と宝塚スターから始まり、映画やドラマに大活躍した八千草薫。二人の昭和を代表する大女優はもういません。

 元号も令和に変わり、昭和はますます遠くなりにけり、ですね。なんて言いますと、若輩者のくせにと叱られそうですが…。