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「花言葉は寛容さ」ジュウガツザクラを見に行って思ったこと

 桜といえば春の代名詞ともいうべきソメイヨシノを思い浮かべる方がほとんどだと思います。でも、今日は桜は桜でもソメイヨシノではなく、ジュウガツザクラのお話をしようと思います。

 

 

 ジュウガツザクラは四月と十月から十一月の二回、咲きます。でも四月には桜の王様・ソメイヨシノや八重桜があるので、ジュウガツザクラはまったく目立ちません。第一、その名前からして四月にも咲くのに、ジュウガツザクラとはあまりにも工夫がなさすぎますね。でもその名のとおり、晩秋から初冬にかけて開花するジュウガツザクラは、この時期に咲く花が少ないが故に、貴重な花だと思います。

 

 

 何しろ極めて控えめな花ですので、ジュウガツザクラの花の下で花見会を催されたという話はあまり聞いたことがありません。お花見の宴会の喧騒は似合いません。むしろそっと心静かに鑑賞するのがいいのでしょう。

 

 

 お花に顔を近づけてよく観察してみると、花びらが何枚も重なり合い、淡い桃色をしているのに全体的には白い花のような印象があります。ソメイヨシノとは違い、葉がたくさんある中に交じって控えめに咲いているので、それがジュウガツザクラだと知らない方はきっとお花の前を素通りしまうかもしれません。

 

 

 淡い桃色の小さな花を咲かせるジュウガツザクラは、人知れずそっと咲いている方が似合うのでしょう。そんな一見して地味なお花を見に行こうと思い立ったのには、理由がありました。

 

 

手紙に添えられた写真

 

 

 ちょうど一年前の今頃、お花好きのその女性は一枚の写真を手紙に添えて送ってくださいました。手紙には、近所にある小さな公園でジュウガツザクラがこんなにきれいに咲いていましたよ。是非、見にいらしてくださいね。というごく短い文章が時候の挨拶の後に続いていました。お恥ずかしい話ですが、私はその時に初めてジュウガツザクラという花の名前を知りました。十一月の初旬だからジュウイチガツザクラではないのかななどと冗談を言ったものです。

 

 

 写真を届けてくださった方はお花の先生をしていたので、当然ながら、お花に関してはプロフェショナルです。でも決して自らのお花に関する知識をひけらかすようなことはせずに、時々、思い出したように前述のようなお手紙をくださるのです。

 

 

 折角のお誘いでしたが、こちらも何かと多用だったこともあり、結局、ジュウガツザクラを見に伺うことはありませんでした。ジュウガツザクラが咲くのは毎年のことでしょうから、わざわざその時に写真を届けてくださったのは、きっと私たち夫婦にたまには会いたいなというお気持ちからだと思います。それなのに、伺わなかったのは申し訳ないことをしてしまったと後々悔やむことになるとは、その時には予想だにしませんでした。

 

 

花言葉は「寛容」

 

 

 今年の初めに、再びお手紙が届きました。今度は時候の挨拶でもなく、お花の知らせでもなく、ご自分の病状についての手紙でした。末期がんに侵されていること、病院の緩和病棟に入院中だということが、正直に書かれていました。手紙を見て、むろん、私たちはすぐにお見舞いに行きました。

 

 

 ご承知のとおり、緩和病棟というのは、もはや積極的な治療を施せない病状の患者さんだけが入院するところです。そこで、その方は静かに最期の時が訪れるのを待っていました。あまりにも衝撃的なお知らせに、私たちはすっかり気が動転してしまいました。でもその方はやせ細ってはいたものの、以前と少しも変わらぬ落ち着いた佇まいで私たちを迎えてくれました。

 

 

 会話の糸口をつかめずにいたところ、その方は車椅子をさして、こうおっしゃいました。

「車椅子を押してくださいますか。ちょっとお庭に出てみませんこと?」

 ええ、喜んでと私がいうと、妻の手を借りながら、車椅子におさまりました。

 

 

 去年の秋に写真を送りましたでしょ。ジュウガツザクラがとってもきれいに咲いていたものだから、あなたたちにも見てもらおうかと思ったの。ジュウガツザクラというのは、ほとんど目立たないお花なのよ。でもよく見ると、淡い桃色の花びらがとても美しくてね。花言葉は寛容さ。私は残念ながら、もう長くはないけれども、寛容さだけは最期まで忘れないつもりよ。

 

 

 最初で最後となったお見舞いでした。病院の庭には残念ながら、その時期にはお花は咲いていませんでした。庭木は皆、枯れ枝ばかりで物悲しい気持ちが募りました。それからほどなくして、その方は天に召されました。ご家族の方のお話では、静かに眠るように逝ったそうです。きっと病魔に襲われた運命を恨んだりはせずに、ジュウガツザクラ花言葉のように、最後まで「寛容」な気持ちで旅立たれたのでしょう。

 

 

 そしてあの写真に写っていたジュウガツザクラを見に行くことしたのです。控えめで可憐な花をたくさん咲かせていました。一年前のあの写真に写っていたのと同じように。