明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

日常の中にある「小さな幸せ」に癒されましょう! 

  皆さんにとって幸せとは何でしょうか。恐らく即答できる方はすくないのではないでしょうか。実際、「幸福論」について書かれた著書はいくつもあり、有名なラッセル著の『幸福論』を読みましたが、不幸になる原因については多少理解できたものの、全体的に何が幸福なのか、明確に答えがあるわけではありません。レトリカルな幸福論という印象です。名著と言われる『幸福論』ですら、はっきりとは答えが出ないのですから、私などにわかるはずもありませんね。でも、私なりに「幸福とは何か」について少し考てみたいと思います。

 

 

子供の幸せは無限にある

 

 

 純粋無垢な子供たちに幸せって何だろうと質問してみたら、きっと我々大人では考えも及ばない意外な答えが返ってくるはずです。たとえば、もうすぐクリスマスなので、サンタさんが僕の大好きなおもちゃをたくさん持ってきてくれること、と答える子もいることでしょう。あるいは、女の子は男子よりもずっと現実的な子が多いから、大金持ちの王子様と結婚すること、と答えるかもしれません。夢がある答えですが、どこか現実的ですね。

 

 

 大人になるともっと思考や嗜好が三者三様ですから、その方によって答えは自ずと違ってくるでしょうが、概ね、実業家として成功したいとか、宝くじで10億円を当てたいとか、お金にまつわる願望が実現することが「幸福」との認識をお持ちの方が大勢いらっしゃると思います。

 

 

 ご高齢の方の場合には、幸福感もより現実的かつ恬淡としてきて、健康で長生きしたいとか、老後を送るのに不自由しない程度の経済的な余裕があればいい、などといったことでしょうか。中には、どこかの帝王と呼ばれた方のように、孫ほどの年若い女性と再婚したいという生臭い幸福を思い描く方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 経済的な余裕は確かに資本主義社会で暮らしていくためには、必要不可欠です。ひところのIT長者やバブル期の不動産長者のように、唸るほどの金を持って、贅沢三昧の生活を謳歌した方々もいました。そうした傍から見て”幸福そうに”見える方々が、その後に辿った人生を思うと、必ずしも大金持ちになることが幸福につながるとは限らないような気がします。

 

 

 精神的な充足感を得られることも、幸福といえるでしょう。宗教の世界に入り込み、仏教ならば修験者のような厳しい生活をあえて選ぶことで、精神的な幸福感を得る方もいらっしゃいます。比叡山を千日間にわたって真言を唱えながら、札所を巡るという荒行に挑む修験者は、極めて困難を伴う荒行を成就することで、大阿闍梨となることが「幸福」なのでしょう。凡人にはとても理解不能の宗教的な幸福感というしかありません。宗教的な幸福感に達成するのも、並大抵な覚悟ではできません。やはり、なかなか出来そうにありませんね。

 

 

 宝くじに当たったとしましょう。そして得た賞金で豪華客船で世界一周旅行に参加したら、「幸福」になれるでしょうか。貧乏旅行しかしたことのない私には、想像しがたいことですが、クルーズ中に非日常的な体験をしている間は幸福感に浸れるでしょう。でも旅には必ず終点があります。それは人生も同じです。旅の終わりに感じる、あの切ない気持ちを思うと、その幸福感は一瞬のものだったことに気付くはずです。あとはその楽しい思い出に浸りながら、残りの人生を何か物足りない思いを抱きつつ、送らなければなりません。

 

 

「小さな幸せ」は日常の中に

 

 

 幸福とは何か。実は、もっと身近なところにあるのではないでしょうか。つまり日常の中でふと感じた満足感や感動こそが「幸福」なのでは。幸福と呼ぶにはあまりにもささやかな出来事かもしれません。でもその方が今、感じている感動のもとになっているのが、「小さな幸福」なのです。「小さな幸福」なら私たちは、毎日、出会っているはずですよ。

 

 

 ウィークディには一生懸命に働いて迎える週末。さて今週末には何をしようか。どこに行こうか。お買い物に出かけようか。友達と一緒にご飯を食べようか。等々。旅は計画している時から始まると言いますが、週末の楽しみを考えているその思考そのものが「小さな幸せ」「ささやかな幸福」ではありませんか。

 

 

 日常生活の中には、そうした「小さな幸せ」が満ち溢れているのです。いつもの通勤電車でも見つけましたよ。スマホの画面ばかりを見ていないで、たまには車窓の風景をご覧になってください。晴れた日には、ふとした瞬間にビルの谷間から真っ白に雪化粧した富士山がぽっかり浮かんで見えませんでしたか。私は今朝、そのことを発見して感動しました。通勤電車は仕事場までの移動手段でしかないはずなのに、富士山が一瞬目の前に現れたのを発見した時に、思わず「なんて美しいのだろう」と声に出したくなりました。週末には、ちょっと富士山を見に行ってみようかと考えました。

 

 

 日常の中にあるからこそ、普段は気づかないことはたくさんあります。食いしん坊を自認する私は、仕事を終えて疲弊して帰宅したときに、妻が私の大好物である鶏の唐揚げを作ってくれたら、もうそれだけで幸せな気持ちでいっぱいになります。

 

 

不思議の国のアリス』の中に、森の中でテーブルを囲んでパーティを開いているところに出くわす場面があります。アリスが不思議に思って、「今日は何かの記念日なのかしら?」と尋ねると、主催者はこう言います。

「何でもない日を祝っているんだよ、お嬢さん。たとえば誕生日は一年に一度きりしかないだろう。でもそれ以外の何でもない日は毎日だからね」

 

 

 この言葉には大いに共感しました。確かに何にもない日にこそ、ちょっとした感動や喜びがあるもの。祝福すべきは誕生日など特別な日である必要はないのです。「小さな幸せ」を探しましょう。平凡な日常の中には、必ず何かしらのサプライズが隠されているものです。それを探し当てましょう。そして「小さな幸福」を日々、重ねることで、きっと宝くじで一等が当たったり、世界一周クルーズに参加するよりもずっとずっと深い感動が心の中に広がっていくことでしょう。ささやかな、そして小さな幸福を大切にしたいものです。それはきっとあなたの心を豊かにしてくれるでしょう。そして、あなたを癒してくれることでしょう。