明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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「コロナ禍」で失われる最も大切なモノとは?

 年末恒例の今年の10大ニュースには、もはや順位を付けるまでもありません。「コロナ禍」に明け暮れた1年。これに尽きます。この恐るべき「疫病神」によって私たちは最も大切なあるモノを失うかもしれないのです。

 

 

 痛手を受けたのは何も観光業や飲食サービス業だけではありません。日本経済に限らず世界経済の低迷を強いられただけではなく、私たちは「コロナ禍」によってかつて経験したことのない、大きな「喪失感」に苛まれたのです。

 

 

 「新型コロナ」のせいで、私たちの住む国や町、地域社会のあり様が一変してしまいました。人と人とのつながりや絆、コミュニケーションといった人間社会に欠かせない、根幹が空洞化していったのです。

 

 

 「3密」即ち、密閉・密集・密接を避け、ソーシャルディスタンス即ち、人と人との距離をとることが「新型コロナ」の感染防止には不可欠なため、他人との直接的な接触を避けることが推奨されています。

 その結果、どうなったか。忘年会・新年会の中止はもちろんのこと、ごく日常的な行動にも制限が設けられ、多人数の集まる会食や大小の規模を問わずイベントは開催できなくなりました。営業マンが顧客先を訪問することすら困難です。こんなディスコミュニケーション社会が現実に起こり得ることを誰が想像できたでしょうか。

 

 

精神的な「距離感」

 

 

 昭和世代には馴染みの深い「飲みニケーション」。植木等の『スーダラ節』の歌詞はこんな具合です。

 

 チョイと一杯のつもりで飲んで

 いつの間にやらハシゴ酒

 気がつきゃホームのベンチでゴロ寝

 これじゃ身体にいいわきゃないよ

 わかっちゃいるけどやめられない

 

 確かにハシゴ酒ばかりしていては、身体にも財布にも良いわけがありませんが、仲間同士がわいわいと楽しく酒を酌み交わすことで、ストレスを発散するばかりではなく、互いの本音をぶつけ合える絶好の機会でもありました。しかし、こうした「飲みニケーション」すらも「コロナ禍」で失われてしまい大いに嘆き悲しんでいるのは、昭和のオジサン族ばかりではないはず。

 

 

 とかく現代社会では人と人とのコミュニケーションが希薄になりがちと以前から言われていましたが、「コロナ」以降、人と人との距離が離れて行きました。精神的にも距離を置くようになったのです。ソーシャルディスタンスといえば聞こえはいいが、要するに「近づくな!」と常に他者に向けて警告を発しているわけです。これこそがディスコミュニケーションの元凶といえましょう。

 

 

 「ヴァーチャルリアリティ」は一部のオタク族の嗜好かと思っていたら、とんでもありません。「コロナ時代」下では推奨されるべき「新しい生活様式」に昇格されたのです。実際、会食・飲み会が禁止される中、オンライン飲み会が当たり前のように行われています。ネットという”仮想空間”の居酒屋で個々人が自身のPCに向かって「乾杯!」とやったところで、一体、どれだけの連帯感が得られると言うのでしょうか。

 

 

 むろん人それぞれの趣味や嗜好がある以上、オンライン飲み会が楽しくて仕方がないという方がいらっしゃっても少しもおかしくはありません。どうぞお好きなようにお過ごし下さればそれでいいと思います。ただ、そうした「ヴァーチャル」宴会には、コミュニケーションの核心ともいうべき「他者との距離感」が抜け落ちているように思えてならないのです。

 

 

失われゆくモノ

 

 

 2011年に起きた「東日本大震災」の際、「絆」を合言葉に私たち日本人は一つとなりました。天皇制の是非をここで論じるつもりはありませんが、やはり日本という国はひとつの「家族」であり、国民ひとりひとりは強い絆でつながりあっているという思いを新たにされた方も多かったのではないでしょうか。

 

 

 ところが「コロナ禍」の世の中になり、日本人の最大の美徳である「絆」が急速に失われつつあるように思われてなりません。自然災害などに被災された方々に対して、多くのボランティアが被災地で瓦礫の後片づけや炊き出しなどに参加する、助け合い精神。「困っている時はお互い様」という日本人特有の「家族」的な絆が、「コロナ禍」により損なわれつつあるように思えるのです。

 

 

 ディスコミュニケーションは若い世代に、とりわけ学生とっては大きな影響があると言わざるを得ません。新入学の大学生が未だに正常なキャンパスライフを送れないという。感染防止のために大部分の講義はオンライン化されました。大講堂で教授の肉声に直に触れることすら叶わないとは、実に気の毒というほかありません。

 

 

 当然、このままではサークル活動もままなりません。かつては新入生が大学のキャンパス内を歩いていると、よく先輩方からどこそこのサークルに入部しないかとの勧誘の声が掛かりました。中にはせっかく最高学府たる大学に入学出来た以上は、サークル活動などで遊ぶ暇があるのならその分、勉学に集中したいというフレッシュマンもいるにはいますが、遊びも学生時代にひと通りは経験しておくのもまた”学び”のうちといえそうです。

 

 

 「コロナ」時代の学生はサークル活動などの”学び”も経験できず、大学の先輩、後輩という、ややいびつながらも社会人になってから多少は役に立つこともある上下関係をも知らないままで卒業式(しかもオンラインで)を迎えることになるかもしれません。

 

 

 「新しい生活様式」がいつしか当たり前の日常となる時、たとえ新しいワクチンの接種で新型コロナを征服できたとしても、その間に失われてしまったモノの何と大きなことでしょうか。「アフターコロナ」時代には、他人との間に物理的・精神的距離をおくようになり、仲間意識や絆はますます希薄になっていくことでしょう。

 私たちは「コロナ」によって最も大切なモノを失うことになるのです。