明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

成人の日に特養ホームの叔母を見舞って感じたこと

 連休の最終日、東京は晴天でした。三日間の休日のうちで晴れの日は土曜日と成人式の日だけです。どうもすっきりしない天気ですね。でも新成人になられた方々にとっては、記念すべき日に雨模様の寒い日にはならず、気持ち良い天気に恵まれて、本当に良かったでしたね。まるでお天道様から祝福されたようではありませんか。人生、山あり谷ありというものの、皆さまの未来が今日の天気のように明るい日々となりますよう、心より願っております。

 

 

 今年もさっそく”やらかす”不届き者が各地の成人式会場に現れた模様です。市長が祝辞を述べられる時に、騒いだり、爆竹を鳴らしたり、はたまた喧嘩騒動を起こす輩もいたそうです。成人式というのは、言うまでもなく一生に一度の”晴れ舞台”です。正式に成人となり、社会の一員としての自覚を持たなければならないのに、何と浅ましいことでしょうか。昨今の「パーリーピーボー」の真似事なのか何だか知りませんが、いい加減になさい!

 

 

叔母が教えてくれたこと

 

 

 それはさておき、新成人が誕生するこの日、私は叔母が入所している施設へ見舞いに行きました。八十代後半の叔母は、もう五年も特別養護老人ホームで入院生活を送っています。十年以上前から認知症になり、今ではほとんど意識もない状態です。それでも叔母は息子や娘の献身的な介護に支えられて、命を繋ぎとめてきました。

 

 

 私が子供の時分に、叔母の家にたびたび泊りがけで遊びに行ったものです。いかにも下町育ちらしいチャキチャキとして威勢の良い叔母でした。同じ年齢の子供がいる叔母のお宅へ遊びに行くと、わんぱく盛りの男の子が一緒にいれば、随分といたずらもしたものです。

 

 

 いたずらと言っても、いたって他愛のないもので、部屋中をひっ散らかして鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりと、そんな感じでした。つい暴れすぎて唐紙や障子を破ってしまうことも多々ありましたが、叔母はその場で私とその子の頭をごつんとやって叱った後は、からっとしたものでした。男の子はわんぱくなのが当たり前だという風に考えていたようです。

 

 

 ただし、他所のお宅の植木鉢を壊した時には、こっぴどく叱られました。叔母には、自分の家では何をしてもいいけれども、他人様に迷惑をかけるのは許しません、ときつく言われました。親戚の子である私も叔母の子も分け隔てなく、叱る時は容赦しませんでした。

 

 

 今の若い世代の方々は親類の叔父、叔母から叱られたりした覚えはあるのでしょうか。多分、ほとんどないと思います。親類ですらそうですから、他人から咎められた経験などないことでしょう。もっといえば、自分の親からもまともに叱られたことがないのではないでしょうか。

 

 

 悪いことをしたら、自分の子供であろうと他人のお子さんでも、きちんと叱るという習慣はとっくになくなりました。それどころか、頭ごなしに子供を叱りつけると、子供の人格を傷つけることになるから、なるべき叱らない。親から叱られたことのない子学校で悪さをしても、親でも親戚でもない赤の他人の先生にはその子を叱ることさえ許されないのです。

 

 

 自制心はある程度の年齢になれば、自然に芽生えるのかもしれません。でも中にはそうならない子もいるのです。善悪の判断が付かない年齢の子供には、やはり大人がきちんと悪いことをしたら叱ることで、教え込む必要があると思います。皆さんはどう思われますか?

 

 

 子供は野生動物のように自由奔放です。それが子供の良さでもある。でも社会で生活ていく上では、自制心や秩序というものを幼い頃から教え込む必要があると思うのです。子供の権利ですって?もちろん、誰にも人権があります。でもそれは社会の秩序や決まりをきちんと学んでからの話です。叔母が厳しく叱りながらしっかりと教え込んだものは、大人になり社会生活を営むようになる前に、きちんと身に付けるべき事柄でした。

 

 

 成人式で県知事や市長から祝辞を送られた新成人の方々には、当然ながら、社会の一員となるための必要最低条件たる「社会性」が備わっていなければなりません。壇上でスピーチを行っている最中に、席を立ち騒ぎまわったり、爆竹を鳴らすなどという蛮行に走る人たちには、そもそも成人の資格が著しく欠如していると言わざるを得ません。

 

 

「宝物」

 

 

 この日、特養の叔母を見舞ったのは、そろそろ命が尽きようとしているからでした。ベッドで薄目を開けて無表情に虚空を見つめる叔母には、かつての溌溂とした面影はどこにもありません。たとえほとんど意識がなくても、私は叔母に向かって話しかけずにはいられませんでした。

 

 

 叔母さん、今日は成人式ですよ。晴れ着を着た若い女性をたくさん見かけました。叔母さんも着物が大好きでしたね。でも子供の頃に僕は、和箪笥の引き出しを開けて、大切な着物を汚してしまいました。あの時、叔母さんは少し怖い顔をしたけれども、もうやっちゃいけませんよと一言だけでした。

 僕は叔母さんの大切な宝物にいたずらしたことをひどく後悔しました。本当に悪い子でした。でももうあんなことはしなくなりましたよ。僕は叔母さんからこっぴどくお仕置きされるものとばかり思っていたのに、叔母さんは…、叔母さんはちっとも叱りませんでしたね。それで余計に、悪いことをしたのだと思い知ったのです。お隣のうちの植木鉢を壊した時にはあんなに叱られたのに…。

 僕は叔母さんから大切なことを教わりました。それは他人様には迷惑を掛けるなということ。成人式で暴れるような”大人子供”がいたら、叔母さんだったらきっと容赦しないでしょうね。

 

 

 叔母の表情には何も変化は現れませんでした。でも一緒に見舞いに来た妻に促されて、叔母の居室から離れるときに、ほんの僅かでしたが、叔母が目で私にだけ合図を送ってくれたような気がしました。