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「としまえん」閉園を知って涙が止まらない…

 都内で有数の規模と歴史を誇る「としまえん」がついに閉園するというニュースを知り、皆さんの心にはどんな思いが去来しましたか。

 90年以上の歴史ある遊園地です。東京ディズニーランドやディズニーシー、後楽園遊園地、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどの陰に隠れて、昨今ではあまり目立たなくなりましたが、私の少年時代には、遊園地と言えばとしまえんがダントツの一位でした。

 

 

 としまえんの目玉は数多くありますが、中でもわざわざヨーロッパから取り寄せたという年代物の豪華絢爛たるメリーゴーランドは見物です。スマホゲームのアプリほど臨場感溢れるスリリングな乗り物では決してありません。でもゆっくりと楽し気な音楽と共にキラキラと光あふれる馬車や乗り物たちが優雅に回る様子は、ヴァーチャルの世界にはないものです。

 

 

夢の「パラダイス」

 

 

 遊園地とは本来、こういう「おとぎ話」の世界観を具現化したものだと思うのです。むろん、ディズニーランドやUSJなどはテーマパークという新しいコンセプトを売りにして、大人までも夢中にしてしまう優れたアミューズメント施設です。目新しさはありませんが、としまえんには新しい遊園地やテーマパークとは一線を画す”何か”があるように思えてなりません。

 

 

 夏ともなれば、有名な流れるプールで水遊びも出来ますし、怖~いお化け屋敷では暑さを忘れて背筋が凍ります。忘れてならないのは、迫力満点のジェットコースターです。

 今でこそ、富士急ハイランドにすごいのがありますが、私の子供の頃には、とにかくあの乗り物のスリリングさは他では味わえないものでした。何度乗ってもその都度、わくわくどきどき感に胸を躍らせました。ハードな乗り物に疲れて、休みがてらにコーヒーカップに乗って、グルグルとカップを回転させて終いには怒られたりもしましたっけ。

 

 

 としまえんには、アトラクションの数よりも多くの思い出が詰まっているのです。もっと年上の方々はとしまえんよりも浅草花やしきを一番に挙げるかもしれませんね。それはともかく、90年という長い歴史のあるこの遊園地は、世代を超えて、来園者ひとりひとりに懐かしい”童心”を思い出ささずにはいられません。

 

 

 今でこそ、広大な敷地を持つテーマパークはいくつもありますが、都内にあれだけの面積を有する遊園地は他にはないはずです。入口のゲートをくぐったその瞬間から、子供たちはまるで未来の乗り物のような格好いいアトラクションの数々に圧倒されます。幼い子には子供向けの楽しい乗り物も用意されていますし、小学校高学年以上の子にはスピードとスリルが味わえる素敵なアトラクションもあります。

 

 

 大人になって好きな異性が現れたら、としまえんで一緒にアトラクションを楽しめば、二人の距離が一気に近づくこと請け合いです。この遊園地でデートをして、やがてゴールインされた方も大勢いらっしゃることでしょう。遊園地とは、大人も子供も皆に夢を見させてくれる「パラダイス」なのです。

 

 

叔母に連れられて

 

 

 初めてのデートがとしまえんだったという方もいらっしゃるでしょうが、私の場合には、最初にここを訪れたのは幼稚園の頃だったと記憶しています。母の妹、つまり叔母が初めて連れて行ってくれました。叔母と私と妹の三人でとしまえんで何度も遊んだものです。

 

 

 叔母は生涯、独身を通した人でしたが、きっと子供のことが大好きだったのでしょう。叔母より二歳年上の母が少し病弱だったために、遊園地に子供二人を連れて行って遊んであげるだけの体力がなかったようです。母の代わりにもっぱら叔母がとしまえんに連れ出してくれました。

 

 

 躾けの厳しかった母は虫歯になるからといって、なかなかチョコレートや甘いお菓子を買い与えてくれません。でも叔母は母とは立場が違い、甥っ子、姪っ子に対しては無限大に甘かったのです。喉が渇いたと言えば、すぐにジュースやコーラを買ってくれ、ついでにポップコーンも持たせてくれます。

 

 

 中でも最高だったのがソフトクリームです。母もたまにデパートに一緒に出掛けた際には、帰り際にご褒美のつもりだったのでしょう、ソフトクリームを食べさせてくれましたが、毎度というわけではありません。やれ、お腹を壊すからとか、もうすぐ夕ご飯の時間だからとか言って、なかなかソフトクリームにはありつけなかったのです。

 

 

 その点、叔母は躾けよりも甥や姪を甘やかす天才でしたから、あの渦巻き状の立て看板を指さしただけで、子供の欲しがるものをすぐに理解して、

「はいはい、じゃあソフトクリームを食べましょうね。ちゃんとベンチに腰掛けて食べるんですよ。お洋服にこぼすとお母さんに叱られちゃうからね」

 と言って、何でも好きなようにさせてくれました。それもあって、子供の頃から食いしん坊だった私などは叔母ととしまえんに行くことが何よりも楽しみだったのです。

 

 

 としまえんの思い出は人それぞれでしょうが、私には叔母とそこで過ごした楽しいひと時が今でもありありと目に浮かぶようです。母とは違い、大甘だった叔母。一緒に悲鳴をあげながら、入ったお化け屋敷。優雅なメリーゴーランド。そしてもちろん、ソフトクリーム! 

 

 

 私が就職を控えた大学生の頃、叔母は病院の入退院を繰り返していました。癌でした。病名の宣告を受けた後でも叔母は決して諦めずに、苦しい抗癌剤治療にも耐えました。学生時代にはバイトやらサークル活動やらで忙しくしていたため、叔母の入院する病院には数回しか見舞いに行きませんでした。あれだけとしまえんに何度も連れて行ってくれたというのに、何という薄情者でしょうか。

 

 

 いよいよ末期の時に、見舞いに病室を訪れると、叔母はやせ衰えて骨と皮だけの状態でした。もはや起き上がることさえ出来ず、話すことも難儀そうでした。眠っているように見えましたが、構わず私は叔母に、もうすぐ就職活動をするんだよ、と話しかけると、薄く目を開いて、

 

「もうそんなに大人になったのね。私がこんなでなかったら、きっと〇〇君のスーツくらい買ってあげたのに…。就職、がんばってね。応援してるからね」

 

 叔母の目頭からつうっと涙が零れ落ちました。その様子を見た時、私はもう叔母は長くはないだろうと悟りました。でも悲しみより、叔母から掛けられた励ましの言葉が何だか気恥ずかしく思えて、ただ一言、うん、がんばるよ、とだけ答えました。

 

 

 就職活動を何とか無事に乗り切り、志望する職種の出版社へ入社することが出来ました。配属先の雑誌編集部は非常に多忙で寝る間もないほどでしたが、面白おかしく仕事が出来たと思っています。今は残念ながら、編集部から地味な事務方へと異動になりましたが、自分なりに編集者時代には精一杯やったという自負があります。

 

 

 でも、叔母に出版社への就職を報告することは叶いませんでした。享年42歳。あまりにも早い人生の幕引き。としまえんで過ごした叔母とのあの楽しい思い出。その思い出が詰まった遊園地の閉園が決まりました。私は涙が止まりません…。