明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「最悪の週末」を過ごしてしまった方の「処方箋」

 関東地方ではこの週末は気持の良い晴天に恵まれました。でも新型コロナウィルスの感染者が続出する中、とても繁華街などの雑踏の中へ出かける気にはなれません。週末を自宅でまったりと過ごされた方も多かったことと思います。実は、私もそうでした。

 

 

 ところが、いよいよ日曜日の夕刻に差し掛かる頃になって、何か頭の中で”異変”が起きつつあることに気付いたのです。そうです。例の厄介なアレです。

 

 

「日曜」の塞ぎ虫

 

 

 「塞ぎ虫」が次第に活動し始めるのを感じました。このままでは、明日の週明けの月曜日が危ぶまれます。こう言いますと、他人事のように聞こえるかもしれませんが、このままではまずいぞ!と心が強く警告信号を発しているのを感じるのです。

 

 

 さあ、どうすればよいのか。今、脳内のあちこちの引き出しをひっくり返して、何か良い”処方箋”が入っていないかと探し回っているところです。このままでは、また「うつ」の症状になりそうです。いけない。何とかしなくては。

 

 

 まずこの週末の二日間をどう過ごしたかを、検証することにしました。土曜日には、自宅に「籠りきり」の時間を有効に活用しようと思い、朝から大好きな音楽に浸り切ることにしました。それは大成功でした。趣味に没頭することで、時の経つのも忘れるほどでした。気が付けば、あっという間に夕方になっていました。それはそれでいいのです。充実した一日を過ごしたと実感できましたのですから。

 

 

 問題は日曜日でした。日曜は翌日に月曜日を控えて、気分的にも圧迫感が強くなる危険性の高い曜日でもあります。それだけに、日曜日にはなるべく明日のことは考えないで、趣味でも何でも没頭して時間を忘れるように心掛けていました。時間を気にせず過ごせるように、時計は極力見ないようにしています。

 

 

 でも今回はそうした時間の呪縛から逃れる方策を怠ったのです。朝寝坊をしてようやく床から起きだしたのが9時過ぎでした。家族の者は用事で朝から外出して不在でした。そのため、いつものブランチではなく、昼頃にテレビのニュースを見ながら、インスタントラーメンを一人作って食べたのです。

 

 

 そのうち、午後過ぎに内装工事の業者がやってきて、洗面所のシンクを交換しました。業者の出入りするので、自室で好きな音楽を聴いて過ごすわけにもいかず、何をするともなしに工事が終わるのを待つしかありませんでした。

 

 

 そうこうしているうちに、時間はどんどんと過ぎていき、あっという間に夕方になってしまいました。工事業者が去った後の床の汚れを拭き掃除などしていると、気になるのは時間のことばかりでした。もう2時半か、とうとう3時半を過ぎてしまったか、などと時計とにらめっこしていると、どんどん気が滅入る一方です。何かに没頭していないとこうして時間ばかり気にするようになるものですね。これでは、せっかくの日曜日台無しです。事実、私は日曜一日を何もすることも出来ずに、ただただ時間の経過を気にしながら過ごしてしまったのです。まさに「最悪の週末」です。

 

 

「この日をつかめ」

 

 

 過ぎてしまった時間を取り戻すことは神様でも出来ません。最悪の週末を過ごしたからといって、やり直すわけにはいかないのです。慌てて本を読もうと思っても、少しも活字が頭に入りません。もう何かに没頭することすらできない精神状態に陥ってしまったのです。

 

 

 今、また時計を見てしまいました。あと数時間後には日付けが変わり、月曜日の朝を迎えることになります。好むと好まざるとにかかわらず、誰にも月曜日の朝はやってくるのです。残念ながら、もうこの期に及び、出来ることなどほとんどありません。

 

 

 とほとんど諦めかけていたところ、ふと”引き出し”の奥から探し求めていた「処方箋」が現れたのです。幻の処方箋です。そこには、こうあります。

 

 

 もし貴君が明日に不慮の事故で亡くなる運命だとしよう。それでも明日は必ず訪れる。何人も時の流れに逆らうことは出来ない。ならばどうするのか。貴君にとって明日が絶望的な一日であろうとも、今日があるではないか。今日一日をやり抜くことが出来たのならば、何故明日にそれが出来ないというのか。明日一日を何とか切り抜けるのだ。不慮の事故が待ち構えていようとそのことには変わりがない。「この日をつかめ」。絶望的な中にも必ずや何らかの「救い」があると信じなさい。

 

 

 もちろん、この一文は私の創作ですが、『この日をつかめ』という小説があります。ノーベル文学賞を受賞したソール・ベローの代表作です。中年男性の危機的一日を描き、八方ふさがりとなった時に人はどのように「救い」を求めるのかということがテーマです。すべての試みが失敗に終わり、明日をも知れぬ男が最後の最後に意外なところに「救い」を見出すのです。ネタバレになるのでこれ以上はお話しませんが、一読の価値のある名作です。ただし、一読しただけではよく理解できなかったというのが正直なところです。何度か読み返すうちに、「救い」とは何なのかという深淵なるテーマが少しずつ見えてきます。

 

 

 残念ながら、新潮文庫から出版されましたが、現在は、絶版です。図書館か古本屋で探すしかありません。まったく!文芸出版を謳う新潮社がこれほどの大傑作を絶版にするとは、呆れてしまいますね。小説をどう読むのかというよりも、ここで私がお話したいことは、タイトルの「この日をつかめ」です。そうです。明日がどんな日であろうとも「この日をつかめ」です。何とかかんとか切り抜けようではありませんか。無様でも何でもいい。明日一日だけを何とかやり切れば、それで十分なのです。そう考えれば、何とかなりそうに思えませんか。