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「バーチャル感」溢れる「無観客相撲」は是か非か?

 大相撲がついに戦後初の無観客場所となりました。初日に挨拶のために土俵に立った、八角理事長の顔には悲壮感すら漂っていました。日本を代表する大興行である大相撲が、無観客試合春場所を敢行するのには、よほどの勇気が要ったことでしょう。

 

 

「一瞬のプレイ」

 

 

 音楽の世界では、無観客でオーケストラの演奏を録音することは良くあることです。観客がいるとどうしても咳払いなどの雑音が入り、純粋にオーケストラの音色のみを録音できないという考え方もあります。一方で、そうした無観客録音を嫌う指揮者もいます。というよりも、録音そのものを嫌う、気難しい指揮者も結構多いのです。

 

 

 ソビエト連邦時代に活躍した世界的指揮者、エフゲニ・ムラヴィンスキーなどはその代表かもしれません。かの大指揮者は演奏会ですべてを出し切るタイプで、文字通り、命をも賭した鬼気迫る演奏で知られています。自らの音楽を表現するのに妨げになるとの理由で、ステージのそこここに設置される収録用のマイクが目に入ることを極端に嫌いました。気難しいことこの上ない、この指揮者を何とかなだめすかして録音の許可を得ても、あとで収録した演奏を聞く段になって、ひとこと、これをレコードにすることは罷りならぬと言い張るのです。とはいえ、活躍の期間が長かったので、結構、未発表の音源が残っていて、”発掘”盤がのちに発売されています。

 

 

 ジャズの世界もアドリブという楽譜にない即興演奏が売りですから、無観客のスタジオ録音よりも、どこかのライブハウスでの生収録された方がずっと白熱した演奏が多いように思います。ジャンルの違いこそあれ、音楽は本来「その場」で味わうものなのかもしれません。そう考えると、演奏者が奏でるフレーズのひとつひひとつは、夜空に輝いては消える花火のように、楽器や歌声が鳴り響いた次の瞬間には消え去る運命なのです。

 

 

 スポーツも音楽と同様にその場で一瞬のプレイをした後では、もう二度と同じプレイを再現することは出来ません。その一瞬のファインプレイために選手たちは、あるいは力士たちは日々、精進するのです。映画やテレビが普及する以前には、試合会場に足を運んだ観客だけが、その渾身のプレイを目撃出来ました。

 

 

 スポーツも音楽も「一瞬のプレイ」です。本来、その試合あるいは演奏会が行われる会場にいなければ、味わうことは出来ません。その意味では、今回の「無観客相撲」はスポーツ観戦の在り方として、如何なものかとも思うのです。その試合が行われる会場には誰一人観客はおらず、ただテレビカメラがあるのみで、観客はテレビの向こう側にいるわけです。これは、一種の「バーチャル」な相撲ではないでしょうか。まるでCG映像の大相撲を観戦しているのと同じ感覚で、春場所を観ているのです。何ともシュールな感じがします。

 

 

 もっとも、小さなライブハウスでのピアノトリオが奏でるスタンダードジャズを、スコッチウィスキーのオンザロックと一緒に楽しむというのなら、テレビも録音機材も要りません。しかし、大相撲春場所は大興行です。その試合の模様はNHKの生放送を通じて、全国で放映されます。北は北海道から皆々沖縄まで、全国津々浦々に試合の模様を届けるには、テレビ(ネット配信も)以外では不可能でしょう。日本中の相撲ファンを全員、春場所の会場に集めるわけにはいきません。

 

 

「無観客相撲」の是非

 

 

 その場で観戦するのではなく、テレビ観戦しか方法がなければ、それはそれで良しとすべきでしょう。ただし、今回の「無観客相撲」はどうでしょうか。本来、贔屓の関取に応援の歓声を上げたり、横断幕を掲げて、いざ試合が始まるとがんばれ!と、あたかも観客自身が力士になり替わって土俵に上がっているかのような白熱ぶりです。そして、あっけなく土俵を割った力士には、容赦なくヤジが飛びます。

 土俵入りで四股を踏むたびに、「よいしょ!」という掛け声があるのも大相撲ならではの光景です。そうした会場の熱気も含めて、大相撲だと思うのです。ひとりも観客のいない寒々とした会場に、呼び出しの声が空しく響き、勝っても負けても歓声はおろか拍手ひとつ起こらないという、今回の春場所。こんなのは「興行」ではありません。CG映像と見まがうばかりの「バーチャル」場所なのです。

 

 

 確かにこんな奇妙な「興行」はなかなか見られないでしょう。間違いなく大相撲の歴史に残る「珍場所」となるに違いありません。力士もこの状況をどう考えているのでしょうか。一度、本音を聞いてみたいものです。NHKのアナウンサーにマイクを向けられると、なかなか本音は出てこないので、場所後にこっそりとインタビューする必要があるかもしれませんね。

 

 

 無観客場所とする決定を下した相撲協会は、むろん、苦渋の選択であったに違いありません。理事の面々も親方衆も力士、そして相撲ファンもこんな奇妙な春場所にはしたくはなかったことでしょう。でも考え方を変えれば、今、新型肺炎の蔓延により、小中高校が臨時休校となり、会社員も時差通勤やテレワークを推奨される中にあっては、大相撲春場所を少なくともテレビで観戦できるのはうれしいはずです。人混みを避けてなるべく自宅で過ごさなければならない今現在、大相撲春場所をテレビで楽しめるのは有難いことです。足腰が弱って外出もままならないご高齢者の方々にとっては、相撲番組は大きな楽しみでしょう。

 春場所を中止すべきとの意見もありましたが、敢えて無観客試合という異例な形ながらも春場所の敢行を決断した相撲協会は、評価されるべきだと思います。