明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「ステイ・ホーム」黄金週間で「苛立ち」はピークに!

 やはり緊急事態宣言の延長は避けられませんでした。安倍総理は政府の専門家会議の意見を聞いた上で、4日に正式に延長を決定する旨、記者団に述べました。その日に会見を開いて、国民に向けて説明する予定です。

 専門家会議では1か月程度の延期が必要との意見で一致。尾身副座長が会見で語ったように、宣言の期間中はもちろんのこと、解除された後も、再び訪れる感染の第二波に備えて、これまで通りに不要不急の外出を控えるなど、私たちの生活様式そのものを変える必要があるとのこと。つまり、「自粛生活」をこの先も続けなければならないわけです。

 

 

 我慢、忍耐、辛抱…。とにかくこれからも当分の間、「修験者」のような生活を続けるのです。それがいつまでなのか、誰にもはっきりとしたことは言えません。一体、どこのどいつが我々をこんな目に遭わせたのか、と文句を言いたくもなります。

 トランプ大統領に言わせると、中国の武漢にある研究所から新型コロナウィルスが流出したそうです。その証拠を見たと大統領は自信ありげでしたが、詳細については、一切明かそうとはしません。とにかく、新型コロナをもネタにして、トランプ氏は「敵国」中国を「攻撃」しようとしてます。

 

 

人類の「危機」

 

 

 人類の歴史をひも解くと、何度も絶滅の危機に瀕しています。氷河期には大気の温度が低下して、地上に暮らす生物の大部分が死滅する中、人類は洞穴の奥深くで寒さと飢えに耐え忍び、何とか生きのびることが出来たのです。20世紀には米ソの冷戦時代があり、両国が核兵器の製造を競い合いました。ソ連の崩壊とともに冷戦は終結したものの、21世紀の今、再び米対中国、ロシアの三国はいまだに緊張状態にあります。

 

 

 世界終末時計は今も刻々と「滅亡の日」に向けて時を刻み続けています。あと「100秒」を残すのみです。そこに、新たな「敵」が出現したのです。「新型コロナウィルス」です。人類にとっての脅威は、大量破壊兵器だけではありません。電子顕微鏡でしか見ることの出来ない、極小のウィルスとの戦い。まさに映画『ミクロの決死圏』の世界です。「特効薬」となるワクチンの開発が早いか、それとも「新型コロナ」のアウトブレークか。

 

 

 安倍総理小池都知事も感染を拡大させないために必要なのは、他人との接触を削減することだといいます。そのために不要不急の外出を避けて、このゴールデンウィークは「ステイ・ホーム」週間にするようにと呼びかけています。

 志村けんさん、岡江久美子さん、『三匹のおっさん』の志賀廣太郎さん。テレビでお馴染みの有名人が新型肺炎で亡くなられると、私たちはあらためてこの病気の怖さを痛感しました。でも、喉元過ぎれば熱さを忘れる、の諺のように、またすぐに自分だけは大丈夫だろうと考えてしまいがちです。

 

 

 ましてや、ゴールデンウィークが始まった今です。コロナは怖いけど、好きなパチンコをやりたい、旅行したい、友達と遊びたいという”甘い”誘惑に負けそうです。誰だって、陽気の良い黄金週間に自宅でじっとなんかしたくはありません。でも、「悪魔の誘い」に安易に乗ってしまえば、その時は人類の敗北が待ち受けているのです。負けてたまるか。

 

 

 「ステイ・ホーム」しているとテレビやラジオ、ネットなどに触れる機会が増えます。でもテレビ局も私たちと同じようにコロナの脅威に晒されて、今やスタジオ収録もままならない状態です。情報番組では、出演者どうしが「ソーシャル・ディスタンス」をとるために不自然に離れて立っています。バラエティ番組でも、出演者は自宅からのネット画像での「サテライト出演」をしています。見ているうちに、こちらもだんだんと苛立ってきます。

 

 

 連休中に本腰を入れて読書しようと思い、アマゾンなどのネットで書籍を注文しようとしたところ、何と品切れでした。三島由紀夫の長編小説を読もうとしたのですが、品切れで取り寄せできませんでした。あるサイトでは、この黄金週間中は注文を受けても、配送は連休明け以降になるとの注意書きがありました。自宅でじっとしている間、普段はなかなか読めない長編小説に取り組もうと考えたのですが、どうやらそれすらままならないようです。

 

 

「苛立ち」のステイホーム

 

 

 「ステイ・ホーム」とカタカナ言葉に言い換えれば、何となく”軽い”感じがしますが、実際には、じっとしているのはなかなか辛いのです。要するに「ステイ・ホーム」=「自宅で我慢せよ」なわけです。

 

 

 少々苛立ちを覚えつつ、新聞を隅から隅まで読んだり、ネットでやたらと検索したりするうちに、タレントや著名人の「炎上語録」が目に入りました。その一つが、ナインティナイン岡村隆史の「風俗嬢発言」です。テレビよりも比較的自由度が高く制約の少ないラジオ番組では、つい出演者は言い過ぎてしまったり、失言したりするケースが少なくありません。問題発言をしたラジオ番組を聞いたわけではありませんが、報じられたところによるとその「発言」は確かにあまりにも「度が過ぎた」非常識な内容には違いありません。

 

 

 その問題個所だけを文面にしたものを読めば、誰もが岡村の一連の不用意発言が「女性蔑視」極まりないと思うに十分です。岡村はこの失言により、今後、レギュラー番組への出演を断られるかもしれません。でもちょっと待ってください。批判するのは自由ですが、私を含めて件のラジオ番組を聞きましたか?ラジオ番組ですから、その問題の件に至る前後の話の流れが必ずあるはず。どのような流れの中で、その言葉が発せられたのかをきちんと検証する必要があると思うのです。

 

 

 もしもガチで岡本が女性を侮辱する意図で本心から出た発言であったのならば、これは許されることではありません。そんな差別主義者をテレビやラジオに出演させておくわけにはいきません。でも、話の流れで風俗好きを自認する岡村が、自分を卑下する意味合いを含めて自虐的に冗談交じりで発言したのかもしれないのです。タレントは決して聖人君子ではありません。むしろ欠点だらけの人が多いのです。

 もちろん、発言自体は著しく常識を欠いたものには違いなく、岡村はその責めを受けねばなりません。とはいえ、自分の非常識な発言で多くの女性の気持ちを傷つけたことに対して、岡村がどんなに心から謝罪をして反省をしても、許されないのでしょうか。

 

 

 皆、苛立っているのです。ラジオのリスナーもテレビの視聴者も、また出演者であるタレントも。私だってそうです。でもその苛立ちを他人のあら捜しで解消しようとするのは、如何なものでしょうか。

 むろん、ラジオ番組なら何でも好き放題していいとは決して思いません。でもちょっと油断して深く考えずについ口を滑らせただけかもしれません。だいいち、そのラジオ番組からして、果たしてどれほどのリスナーが聞いていたのでしょうか。大多数の方はあとになって、記事で「問題発言」の件を初めて知ったことでしょう。それでも、大いに憤慨して、岡村許さじ!の大合唱が鳴りやみません。

 

 

 「コロナ禍」で疲弊して行き場のない怒りをため込みがちの今、何か怒りをぶつける対象を探す傾向があるように思われます。米国大統領のドナルド・トランプ氏もそのひとりでしょう。