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射殺・駆除された「迷いクマ」に花束を

 街中を彷徨い歩く堂々たる体躯の野生クマ。 

 18日午前、札幌の市街地に野生のクマが出現し、4人が怪我を負う騒動がありました。札幌市に限らず北海道では街中に迷いクマが現れる事件がたびたび起きていますが、今回の現場は札幌市内の中心部であったため、不運にもクマと鉢合わせしてしまった4名の市民が負傷する事態となりました。

 結局、その迷いクマは陸上自衛隊丘珠駐屯地近くの茂みに潜んでいるところを、地元の猟友会によって射殺・駆除されて、騒動に幕を降ろしました。

 

 

「迷いクマ」は人災

 

 

 本来、野生のクマは山深い人目に付かぬような場所にひっそりと生息していますが、時として安全・安心な山奥から危険な市街地に彷徨い出るのは、やはり自然破壊によりエサ不足が生じ、空腹に耐えかねて食料を求めてのことでしょう。その意味では、今回のクマ騒動は「人災」と言うべきかもしれません。

 

 

 テレビ番組で見たことがあるのですが、どこかの地方で野生のクマに出くわした中高年の男性が、少しもひるまずにそのクマに向かって大音声で「コラ!」と一喝し、あまりの迫力に気圧されたのでしょう、クマはすごすごと逃げ帰っていきました。おそらくそのクマは成獣でしょうから、もしも男性が恐れて逃げ出す仕草をしようものなら、たちまち襲い掛かってきたはずです。

 

 

 今回、札幌の中心地で起こった「迷いクマ騒動」では、たまたま”不運”にも人間に出会ってしまったクマがヒトの存在を恐れるあまり、彼らの防衛本能から襲い掛からざるを得ない状況に陥ったに違いありません。まさか「物見遊山」で市街地に野生のクマが現れるはずもないのです。住処では十分なエサが得られないため、やむを得ずに人里に現れたのです。

 

 

 今回の事件では、4名の怪我人が出たものの、幸い軽症で済んだ模様です。それにしても、不可解なのは、のそのそと昼日中に車道を横切るクマの姿を繰り返しニュース映像で全国の視聴者が目にしているのに、一向に「捕獲」されないことです。

 近くを彷徨い歩くクマに気が付かず、たまたま遭遇してしまい、仰天して逃げ出そうとした不運な方々は襲い掛かられたり、馬乗りになられたりと散々な目に合わされました。

 4名の被害者の中には自衛隊員もいました。現場近くに丘珠駐屯地があり、迷いクマが駐屯地内に”侵入”しようとするのを阻止しようとして、クマとの”格闘”を余儀なくされたのです。

 

 

 国防を使命とする自衛隊員ですから、当然、不審者ならぬ迷いクマが基地内に侵入を図ろうとすれば、それを阻止しなくてはなりません。当該の隊員もクマの侵入経路を絶とうとして門扉を締めようと試みたそうです。が、圧倒的にヒトより体力的に優位なクマと格闘しても勝ち目があるはずもなく、敢え無く”名誉の負傷”を負う羽目となったのです。

 

 

 自衛隊は武器を携行しているはずですから、何故”不法侵入”しようとする敵=クマに対して銃器を使用しなかったのだろうかとの疑問を感じました。

 警察官が武器を手にした犯人が向かってきた際に拳銃を使用することは認められていますが、何故か身の危険に晒された警官が一発でも発砲しようものなら、マスコミが大騒ぎしてその”一発”の是非についてあれこれ難癖を付けたがる傾向があります。

 同様に自衛官も”防衛”目的であっても武器を使用したことで、後々問題視されるのではないかとの思いから、ただクマにやられっぱなしになることを選んだのかもしれません。

 

 

 野生のクマ一匹も射殺できないのでは、高等生物たるヒトが敵となった場合には果たして迅速に対処できるのかと少々気になりました。むろん、自衛隊は敵の攻撃に対しては最適な対処法でもって自衛するシステムがあるので、心配は無用です。

 ただし、自衛隊の攻撃対象はあくまでも「ヒト」であり、野生動物ではありません。それでも今回のケースのように基地内に迷いクマなどの侵入があれば、それなりの対処法を考える必要がありそうです。

 結局のところ、基地に”侵入”した迷いクマを射殺・駆除したのは、自衛隊員ではなく猟友会のメンバーでした。猟友会が敵=クマに銃弾を浴びせるまで、隊員たちは遠巻きにするばかりだったのです。

 

 

どちらが「敵」か?

 

 

 野生動物はヒトにとって危害を加えられる「敵」にもなり得ます。害獣という言葉もある。人類にとって少しでも有害であるならば、それは直ちに「敵」とみなされるのです。そもそもヒグマにしてもツキノワグマにしても、彼らには彼らの生活圏があります。しかし、そこにみだりにヒトが”侵入”もしくは”侵略”しようとすれば、彼らにとってヒトは「敵」になり得るのです。

 

 

 札幌市の市街地に出現した迷いクマは、自らの生活圏に何らかの問題があって、やむなく圏外に彷徨い出ざるを得なくなったのかもしれません。そしてその結果、無残にも射殺され駆除されたのです。

 

 

 人類はその数が増えるにつれ次々と森林を伐採し、野山をならして生活圏の拡大を続けてきました。そうした中で、しばしば野生動物と人類とのバッティングが生じます。そしていつもその”戦い”に勝利するのは人類なのです。

 地元の猟友会によって見事に打ち取られた札幌の迷いクマにも大いに同情すべき点はあると思います。

 

 

「ついしん どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。」 『アルジャーノンに花束を』より