明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

25日の「解禁日」が待ち遠しかった方々へ

 10月25日の月曜日は何の日か、ご存知の方も多いことと思われます。ボージョレー・ヌーボーの解禁日ではもちろんありません。そうです。酒類の提供中止や時短営業から晴れて「解禁」される日。この日を待ち焦がれていたのは「左党」ばかりではありません。すべての飲食店やホテル、旅行業などに携わられる皆様にとっても、待ちに待った瞬間なのです。

 

 

 週始めではありますが、さっそくビアホールに繰り出したり、行きつけの居酒屋の懐かしい暖簾を潜る方々の姿が目に浮かぶようです。

 本当に長かった。会社帰りに仲間とちょいと一杯という庶民の実にささやかな楽しみすら奪われた方。お客さんに喜んでいただくために飛び切りの肴を仕込んでこられたお店の方々。コロナ禍による日本経済の疲弊を懸念された政治家や経済学者の皆様。マクロ経済・ミクロ経済的にも、飲み屋の大将も呑兵衛も等しくこの日を迎えることができ、喜びもひとしおです。

 

 

「アフター・コロナ」の世界

 

 

 しかし、残念ながら浮かれてばかりはいられません。笑う門には福来るとは言いますが、「COVID-19」は例外のようです。厄介なことに、一旦、感染が収束したかにみえても、浮かれ喜ぶ人々の口や鼻から新たな変異株が易々と侵入していき、やがてパンデミックを引き起こすのです。

 新型コロナが一応の収束を見たからと言って、油断は禁物です。世界の国々を見回せば、そうした”失敗例”には事欠きません。浮かれて大声を出してはいけない。大口を開けて笑うな。大勢で集まるな。ああ、なんてことでしょう。これでは「コロナ禍」の生活と何も変わらないではありませんか。

 

 

 「アフター・コロナ」の世界は、いつになったら訪れるのでしょうか。

 現在、日本を含め世界はまさに「ウィズ・コロナ」の時代です。即ち、常に感染防止策を緩めることなく、密閉、密集、密接の3つの密を避けることが求められています。同時に「ワクチン接種」を推進した結果、新規感染者数はある程度抑えられ、25日の「解禁」を可能にしました。

 この状況を維持することが出来るかどうかと問われれば、誠に残念ながら答えはノーです。他国のケースに見られるように、「解除」後に再び感染がぶり返す危険性が非常に高いのです。

 

 

 感染の「負のスパイラル」から脱する手立てはないのでしょうか。今現在、世界中で「ウィズ・コロナ」から「アフター・コロナ」への移行を成功させた国はないようです。感染の揺り戻しなしに「アフター」へ移行させるためには、もう一段の”突破口”が必要です。それには「COVID-19」を消滅させる「特効薬」の開発しかありません。

 

 

C調言葉に御用心

 

 

 秋から冬へと季節が移ろう中、焼き鳥とビールで一杯で浮かれるのもいいでしょう。吞兵衛も居酒屋の店主も待ちに待った瞬間なのですから。『スーダラ節』ではありませんが、わかっちゃいるけどやめられない。これも良しとしましょう。これまでの長い雌伏の時を経て得られた束の間の「解禁」の喜びを爆発させるのもいいでしょう。でもちょっと耳を澄ましてみて下さい。

 ほら、聞こえてきませんか。候補者の演説が。我が党が勝利した暁にはどうこうするという"耳障りの良い”公約が。選挙戦も終盤に入り、演説にも自然と力が入ってきた様子。しかし、各党ともコロナ対策を口にするも、当たり障りのない内容ばかりです。真剣に「アフター・コロナ」の対策を訴える政党は果たしてあるのでしょうか。

 

 

 菅内閣時代にはいつも「コロナ対策」が後手後手に回っていると批判されました。それでも遅ればせながら「ワクチン接種」を加速させ、今では日本は他の先進諸国と肩を並べるまでになりました。次の政権に期待したいことはただ一つ。即ち、「アフター・コロナ」を実現させるために「治療薬」の開発に全力を挙げることです。

 

 

 西欧諸国では「コロナ治療薬」の開発に国を挙げて取り組んでいます。ロシアやそもそもの新型コロナ発祥の地である中国も同様です。

 日本はどうでしょう。岸田文雄氏が総理大臣に就任した時に、我が国も治療薬の開発に国として予算を付けると発言しましたが、今更そんなことを言うようでは遅すぎます。もっと早く新型コロナがまん延し始めた頃から国家事業としてしかるべき予算を付けて開発に着手すべきでした。明らかにこの分野で日本は出遅れてしまったのです。

 

 

 真に我が国の将来を考えること、言い換えれば「アフター・コロナ」の日本を模索することは容易いことではありません。それだけに政治の力、政治家の手腕が今まさに問われています。日本は元来、国民の創意工夫によりモノづくりに長けた国であったはず。それはもはや「過去」のことなのでしょうか。

 

 

 「未来」志向という言葉は確かに耳障りは良いのですが、いざ具体性を問われると皆口をつぐんでしまいます。でも衆院選の最中だからこそ、「アフター・コロナ」の生活をすべての国民が享受できる社会の実現に向けた具体的な政策を有権者に訴えるべきではないでしょうか。

 久しぶりに馴染みの居酒屋でほろ酔い加減になったとしても、少しだけ衆院選の候補者が訴える政策に耳を傾けようではありませんか。くれぐれも”C調言葉に御用心”を。