明日を元気に生きるための「心の処方箋」

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鬱・不安を忘れるための「現実逃避ベスト3」

 鬱の時は自分が長くて暗いトンネルの中から抜け出せないような感覚がずっとありました。些細なことでもいつまでもくよくよして物事をマイナス面しか見られなくなり、毎日、不安でした。そんな時にもし一瞬でもこの辛い現実から逃げ出す方法がないものかと真剣に考えました。でもたとえば就寝中に夢を見れば、その夢という現実とはまったく別世界に自分を置くことができるわけです。現実世界が毎日辛いのならば、その現実から逃げ出してしまえばよいのです。つまり現実逃避ですね。

 

 現実逃避というとあまり聞こえは良くありませんが、鬱状態や不安を忘れるためには非常に有効です。現実逃避を言い換えれば、リラックスするための方法となります。鬱や不安症でなくても、リラックスできる環境に自分をもっていけばいいのです。

 

 そこで私が実際に経験した方法のうち、これは効果があるぞと思えたことをお話しようと思います。ずばり「現実逃避ベスト3」を皆さんにご紹介します。

 

 

 

①『水曜どうでしょう』的なハプニング一人旅に出る

 

 

 『水曜どうでしょう』の大泉洋とミスターこと鈴井貴之のように、あらかじめ行き先や目的地を決めないで、いきなり出たとこ勝負で長距離バスや電車に乗ってしまうのです。たった一人で出かけるのもポイントです。友人やパートナーのような親しい人と一緒に行動するとどうしても二人だけで完結する旅で終わってしまいますが、一人旅の場合には行先も食事場所もすべて自分で決めなければなりません。

 

 たとえばこんな感じです。東京駅に行って目についた遠方へと向かう電車にでたらめに乗ってしまうのです。そしてしばらく車窓からの風景を見ていると、どんどん日常生活から離れていくことが実感できます。どこかの駅で、これまで一度も来たこともなければ、駅名さえ聞いたことのないような駅で下車するのです。

 

 改札を出て駅前のロータリーを見渡して、今夜宿泊する旅館を適当に選びます。そろそろ夕食の時間になれば、駅前近辺の居酒屋やバー、スナックなどが立ち並ぶ飲み屋街をぶらぶらと歩き、おいしい料理が食べられそうな居酒屋に飛び込みます。さあ、ここからが『水どう』的な旅のスタートです。店のマスターに愛想よく話しかけて、自慢料理の一つや二つを出してもらい、それを肴にその地方の地酒を味わうのです。何の情報もなしに降り立った駅の飲み屋街にある見知らぬ居酒屋で、今、自分が飲んだこともない地酒を味わっているなんて、まさしく非現実的な展開ではありませんか。

 

 私は結構いける口なので、勧められるままにあれこれお酒を味わううちに酔いが回ってきました。そのころにはマスターとも打ち解けて、もし隣に女性のグループ客がいれば、酔いに任せてちょっと声を掛けるとさらに面白い展開が期待できます。

 

 こういう良い展開にするためには、店選びが重要です。私は酒飲みのせいか、何となく鼻が利くというか良さげな店は大体わかるものです。もし気に入らなければ、ビール一杯で出て、他の店で飲みな直せばよし。駅前に飲み屋街がない場合には、タクシーに乗って運転手さんに良さそうな店を教えてもらえばいいのです。タクシー運転手さんはこの手の情報をたくさん持っているものです。店を見極める自信がなければ、タクシーに乗るべし。

 

 旅は、何も風光明媚な観光地でなくても、自分が面白いと思えればそれでいいのです。思いっきり自分勝手になれるのも旅の醍醐味です。ホームタウンから遠く離れた見知らぬ街を旅するのは、現実逃避そのもの。絶対にお勧めです。ただしあまり鬱状態がひどい場合には、誰かと一緒に出かけるようにして下さい。

 

 

 

②たった一日で映画評論家になる

 

 

 休職中に私は時々映画館で最新のロードショーをよく見ました。映画に没頭する間は映画の世界に自分が入り込んだような気持になれます。これだけで十分に現実逃避になりますが、もっと有効な手段があるのです。一日で午前中に1本、午後にもう1本と2本も映画を見通すことです。つまり映画のはしごです。

 

 少し前まではいわゆる名画座のような小さな映画館があって、そういうところでは、たとえば今週はフェリーニ特集と称して三本立てで映画をまとめてお得に鑑賞することが出来ました。学生時代には大学の講義をさぼり、暇さえあれば名画座に通って、週に10本近くの映画を見たものです。今では名作映画やB級作品でも大概の映画はDVD、あるいはブルーレイで見ることが出来ます。でも上映中のロードショー作品を見るには、映画館に行くしかありません。

 

 そこで上映中の最新映画をはしごして一日で見てしまおうというのです。それもただ何となく見るのではなく、なるべく自分が映画評論家になったつもりでストーリーを追うだけではなく、俳優の演技や監督の演出なども読み取りながらじっくりと鑑賞するのです。これは一人ではなく誰かと一緒に見てもいいと思います。見終わった後でその映画についてあれこれ話し合うのも一興です。

 

 プロの批評家でもない限り、一日に2本も映画を見ることは普段はなかなかやる機会ないはずです。人生で大切なことは映画からすべて教わったと淀川長治が語りましたが、映画の世界にはその映画なりの人生観が詰まっています。観客は映画の世界の住人になったような気持ちになります。一日で二度の違った世界の違った人生を送ることになるのですから、これこそ現実逃避にはうってつけの方法です。ただし、チケット代が嵩むので少しだけ懐は痛みますが、その分、辛い現実から逃避できるのですから、安いものです。

 

 

③超長編小説を読破する

 

 

 日本一長い小説は山岡荘八の『徳川家康』なのだそうですが、残念ながら私は未読なので、中里介山の『大菩薩峠』をお勧めしておきます。大正時代から戦中まで実に40年以上にわたって書き続けられた、全42巻からなる(文庫本はもう少し巻数が少ないですが)超長編小説です。

 

 時は幕末、剣の達人の机竜之助を主人公としながらも、次々と新しい登場人物が現れてそれぞれが日本中で騒動を巻き起こすという形で物語は進みますが、書き出しでは仇討という中心となる筋書きだったはずなのに、いつの間にか本筋などどっかにいってしまい、物語は脱線に脱線を重ねていきます。それでも魅力的な登場人物が多いので楽しく読み進められます。

 

 ところが、どうみても思いつきとしか言いようがないようはストーリー展開になったり、弁信という坊主がめちゃくちゃに長いセリフを延々と話し続けたりするうちに、挙句の果てには、小説は未完のまま突如としてぷっつりと終わってしまうのです。こんなに話を拡げておいて、未完とはひどいじゃないかと怒りたくもなりますが、それでもなお、この先がどうなるのか気になって仕方がなく、未発表の原稿などがそのうち発掘されないだろうかなどと妙な期待をしてしまうほど、とにかく興味深い小説です。私はKindle版で読みましたが、読み終わるまでの残り時間の表示があと48時間とかものすごい数字になっていて、驚きました。まあ、この小説を読むには短時間の睡眠時間に耐ええ、食事とトイレや風呂に入る時間も最小に抑えて読み続けても、読み終えるまでには3、4日以上掛かることは覚悟しなくてはなりません。

 

 でも、20世紀最高の小説と絶賛される長編小説『失われた時を求めて』よりはずっと退屈しないで楽しく読めますから、安心して下さい。そして、読み終わった後には、未完小説なのに何とも不思議な達成感が得られるのです。私の友人はこの小説を二度も読みました。皆さんも騙されたと思って、一度、読破してみてはいかが。いつまでたっても終わらない幕末の世界を大勢の登場人物たちと一緒に彷徨い歩いている気持ちになれます。とにかく大菩薩峠と格闘している間は、現実逃避できることは間違いありません。

 

 

 まだまだ現実逃避の方法はあります。次回は続編を書きますので、お楽しみに。