明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

「ルーティン」を怠ると大変なことになりますよ!

 日常生活の中で何気なく行っている「癖」のようなことは、どなたにも一つや二つはあるものです。以前このブログでお話しましたが、気が付けば私たちの生活はそうした「ルーティン」で構成されているようです。たとえば、靴を履くときはいつも右足からとか、ネクタイを結ぶ際に首を少し左に傾けるとか、です。きっと皆さんにも思い当たることが多々あるのではないでしょうか。

 

 

 あらゆる場面において、ルーティンがあります。仕事でも自分流のやり方で勧めたがるのも、一種のルーティンでしょう。でも「ルーティン」を必ずしも守らなくても、いいのです。むしろ、わざとルーティンを外してみると、何か新しい発見があるかもしれません。刺激的な体験が待っているかもしれない。ところが、「ルーティン」は大切にすべきではないかと思い直すような出来事が起こったのです。

 

 

結婚指輪はどうするか

 

 

 皆さんの朝のルーティンとはどのようなことでしょうか。ベッドから起き上がる時に思い切り腕を伸ばしてあくびをする。洗顔の後で鏡に向かってちょっと笑顔をつくってみる。そして通勤するために、家を定時に出る。そんなところでしょうか。もちろん、各人によってルーティンは違って当たり前です。でも、出かける際の最後の持ち物をどのような順番でスーツやカバンに収めるかは、それほど個人差はないと思います。メガネをかけて、時計をはめて、長財布を上着の内ポケットかズボンのポケットに収めて、ハンカチを持って、では行ってきますと月曜以外の日には元気に声に出してから家を出ます。持ち物を納める順番に多少の違いはあるでしょうけれども、大体、皆さんはこんな風ではないでしょうか。

 

 

 私も同様です。私の場合には、最初にメガネをかけて、それから時計、財布、ハンカチの順で収めていきます。既婚者ならば結婚指輪もあります。そこで、皆さんにお尋ねしたいのですが、結婚指輪は一日中、洗顔する時も入浴時もしたままですか?それとも、その都度、外したり着けたりしますか?

 

 

 私は帰宅すると手を洗う前に指輪を外すことにしています。でも中には一日中、一年365日、決して外さない方もいます。そういう方に私が都度、指輪を外すなどと話すと、幽霊でも見たような表情をされたことがありました。その方にとっては、結婚したその日から命ある間は結婚指輪は決して外さないものと信じて疑わないのでしょうね。確かにそれも正しいと思いますが、人それぞれです。価値観の多様化ということです。

 

 

 それこそ昭和の男性の中には、結婚指輪など結婚式が終わり、ハネムーンから戻るとさっさとどこかにしまい込んで、以後、一切指輪をしないなどという方も少なからずいらっしゃいます。でもよく話を聞いてみると、昭和世代の奥様は結婚指輪を外さない方の方が多いように思います。そのようはデータがあるのかどうか知りませんが、ちょっと興味深いですよね。年齢によって結婚指輪を必ずする派としない派との比率はどうなっているのでしょう。

 

 

 そもそも結婚指輪は教会式の結婚式の儀式で、新郎新婦がお互いに指輪を相手の薬指にはめる指輪交換が日本人の間にも広がっていったもののようです。仏教徒であっても、大体の結婚式ではこの指輪交換の儀式が行われます。言ってみれば、結婚式のクライマックスですね。指輪交換を一度したのだから、もういいだろうと結婚指輪をどこかにしまい込む男性が多いのも、自分はクリスチャンではないし、男が指輪なんぞするのは女々しいという昔気質の頑迷さからかもしれません。

 

 

ルーティンを怠ると

 

 

 少々話が逸れてしまいました。ルーティンに話を戻します。私がその朝に出勤前の最後のルーティンにさし掛かった時のことです。何を思ったのか、その日に限って、メガネ、時計、財布、ハンカチの後に指輪をはめるというルーティンに従わなかったのです。その日は雨の予報ではなかったのに、窓越しに表に目をやると、外は本降りの雨です。その時までにメガネ、ハンカチまでは収めていたのですが、その後に折りたたみ傘を鞄に入れるというイレギュラーを挟んでしまった。そのせいで、ルーティンが崩れて、指輪をはめるのを忘れて、出かけたのです。

 

 

 前述したように私は一年中指輪を外さない派ではなく、時々、外したりはめたりする派なのですが、ひとたび、左手の薬指の定位置に指輪が収まるとまるで体の一部になったかのように、指輪をはめているという感覚がなくなるのです。ごく自然に指輪は定位置にあり、その存在すら忘れてしまうほどです。でもそれが見事に裏目に出てしまいました。

 

 

 その日は私の所属部署で部屋の模様替えがあったので、軍手をしてデスクを移動したりと力仕事をしていました。一通りの模様替えが完了したところで、軍手を外して何気なく手を眺めたら、なんとあるべきところに指輪がないではありませんか。しまった!きっとデスクを移動した後で軍手を外す時に、知らない間に指輪も一緒に外れて、どこかへ転がっていったに違いないと思いました。思わぬアクシデントにすっかり気が動転し、床に這いつくばり、どこかにキラリと光る小さな金属の輪が落ちてやしないかと必死に探しました。そんな尋常ならざる挙動をみて、同僚たちが集まってきました。事情を話したら、それは一大事だ、奥さんに怒られるぞだの、ひどい奴は離婚されるぞなどと脅かすのです。

 

 

 その時に私は今朝の出来事をふと思い出しました。そうです。今朝はルーティン通りにしなかったことに思い当たったのです。もしかしたら、いつもの手順が違ったためにうっかりと指輪をはめずに出かけたのではなかろうか。同僚たちが床を舐めるようにして、這いつくばってどこかに転がっているはずの指輪のありかを探してくれている間に、私はこっそりと自宅に電話を掛けたのです。もしや指輪がそのままになっていないか、妻に問い合わせました。すると、まさしくその通りでした。指輪はちゃんとしかるべき置場所に鎮座したままだったのです。

 

 

 ありもしない指輪の捜索活動に協力してくれた同僚たちに、平謝りしたのはいうまでもありません。いやぁ、まったくお恥ずかしい限りです。お騒がせして誠に申し訳ありませんと頭を深々と下げた私に、ひとりの先輩社員は、

 

「でも失くさなくて済んだのだから、良かったね。それよりあなたの愛妻家ぶりがわかって僕の方が勉強になりましたよ」

 

 と、嬉しいことをおっしゃるのです。私は頭を下げつつも、思わず涙が零れそうになりました。

 

 

 まあ何とも人騒がせな”事件”でしたが、教訓とすべき事柄があるとしら何でしょうか。愛妻家の自分はこれからは片時も指輪を外さない派に転向する方がいい。いいえ、違います。「ルーティン」を怠ると大変なことが起こりますよ、ということです。「ルーティン」を大切にこれからは生活していこうと心に誓いました。