明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

サザンの『TSUNAMI』が聞ける日はいつ?

 巨大地震による大津波が街を襲い、壊滅的な被害をもたらした東日本大震災。1万6894名の尊い命が奪われた日です。あれから9年。いまだ復興への道のりは遠いけれど、人々は懸命に頑張ってきました。元号が令和に変わっても、「3.11」のことを私たちは決して忘れてはなりません。

 

 

人々の思い

 

 

 被災された方々にとって、この9年間はどのような年月であったのでしょうか。かけがえのない家族を失った悲しみはたとえ年月が過ぎようが、完全に消え去ることはありません。あの日を境に生活が一変し、故郷にこれ以上住み続けられなくなった方も大勢いらっしゃいます。生まれ育った郷里から離れざるを得なくなった時、どれほどつらく悲しい思いをされたことでしょうか。

 

 

 愛する人を、家族を失った悲しみは決して癒えることはありません。時が悲しみを忘却の彼方へ押しやると言いますが、そうではありません。時が流れて震災の記憶そのものはしだいにその輪郭が薄くなるかもしれません。でも、愛する者を失った悲しみや喪失感は、時がどれだけ流れても忘れ去ることはないのです。悲しみそのものの感情はずっと脳内の記憶中枢に残ります。

 

 

 震災から何十年も経とうが、かつて慣れ親しんだ土地の記憶や理不尽にも突然に愛する者を奪われた悲しみは、記憶中枢のコアの部分にちゃんとしまってあります。日々の生活に追われるうちに、そのことを思い出さない日が少しずつ増えてくるかもしれません。それでも、いつでも大切な記憶として思い起こすことが出来るのです。

 

 

 人は生まれたその瞬間から死へと向かうという考え方があります。たしかにその通りですが、生身の体は年々、老いていくものの、脳内のどこかに大切にしまい込まれている記憶や思念というものは、衰えることはありません。ただ肉体の衰えにより、記憶を再生する能力が衰えるため、忘れてしまったように感じるのです。極言すれば、記憶や思念は年齢とは無関係にたとえ脳の入れ物たる肉体が失われても残るのではないでしょうか。そう考えれば、一度存在したものは決して損なわれることはないのです。

 

 

 日本は台風や大地震、崖崩れ、土石流、津波など自然災害の多い国です。日々の生活を営んでいる時、いきなりそうした自然災害に襲われて、理不尽にも命が失われてしまいます。何故、自分または家族がこんなひどい目に遭わなければならないのかと、憤慨されるのは当然です。それがその方の運命だと言われれば、それまでなのかもしれませんが、あまりにも無慈悲ではありませんか。

 

 

 なぜ、神様はこんなひどい仕打ちをなさるのか。いや人智の及ばない出来事が起こると、何でも神様のせいにするのは間違っているのかもしれません。でも、突然襲ってくる災害の被害に遭われた方々は、自然界の圧倒的な”暴挙”を前にして、誰かの仕業にしないではいられません。さもなければ、とてもやりきれないからです。

 

 

TSUNAMI

 

 

 東日本大震災では巨大な津波が沿岸地方を襲い、町全体が飲み込まれた地域も少なからずありました。震災の直後のニュース映像には、その時の見るも無残な街や建物の状態を克明に記録されています。津波が町を丸ごと飲み込んでいったのです。普段、穏やかな海が、突然にとてつもない破壊力をもって襲い掛かったのです。牙を剥いた自然の脅威に驚愕するしかありません。

 

 

 人智の及ばない自然の秘めたる脅威。天災は忘れたころにやってくるとはよく言ったものです。津波の恐ろしさに私たちはあらためて気づかされました。

 津波は英語の表記でもTSUNAMIと書きます。それだけ大昔から日本列島は津波の被害に度々あっていたということなのでしょう。津波TSUNAMI。並べると何だかまったく別もののようですね。

 

 

 サザンオールスターズの大ヒット曲に『TSUNAMI』があります。桑田の独特な節回しで歌われる同曲は、とても美しいバラードナンバーで、心の琴線に触れます。サザンの数あるヒット曲の中でも筆頭に挙げられる名曲と言っても構わないでしょう。タイトルは津波ですが、決して津波の脅威を歌った曲ではありません。歌詞はこんな感じの内容です。

 

 二度とはない愛しい人との出会いに、人は戸惑うばかり。でも見つめあう時にはどうしても素直に話せない。侘しさが津波のように押し寄せる。人は傷ついて大人になる。ガラスのような恋だと知っていても、せめて夢の中では死ぬまで好きと言って…。

 

 何とも切ない失恋の歌ではありませんか。二度とは訪れぬ青春の日に出会ったあの人を思い出す時、素直に告白できなかったもどかしさが悔恨の涙の雨となる。だから思い出の日はいつでも雨なのです。青春の侘しさが津波のように押し寄せてくる。大津波ではありません。『TSUNAMI』というタイトルは、潮がひいてから押し寄せる津波のように後悔の念に駆られることを表現しています。

 

 

 この名曲が「3.11」以降、テレビはもちろんのことラジオや有線放送からOAされることがなくなりました。理由はもちろん、タイトルのTSUNAMIにあります。その後、一部の放送局がとある番組内で、DJが「曲に罪はない」と言ってOAに踏み切りました。同調して、サザンを擁護する意見を添えて曲を掛けたラジオ局もありました。でもいまだに、『TSUNAMI』は放送局側の”自主規制”が掛かっているようです。

 

 

 悲しみは決して消えないと申し上げましたが、その悲しみを癒してくれるのが、音楽の力だと思うのです。「3.11」の日に起きたことは忘れられません。この日がやってくると、残されたご家族の方々は悲しみをあらたにすることでしょう。時ですらそれを和らげることは出来ないのです。でも、音楽の力を以て、悲しみを癒すことは出来ます。

 

 

 『TSUNAMI』の歌詞を今一度、思い出してください。悲しくも美しい青春のひと駒をサザンは見事に表現しているではありませんか。この美しいバラードには「癒し」の力があると思うのです。

 サザンオールスターズの『TSUNAMI』が聞けるようになる日は、いつ?