明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

うつになりやすい「思い詰めタイプ」が一番危険な理由

 ちょうど十年前の今頃、私の友人は、ひとり命を絶ちました。突然の訃報に茫然自失となりました。なぜ彼は亡くなったのか、当時は理解できませんでした。でもうつ病から脱した経験を経て、今なら多少なりともその理由の一端を理解できるような気がします。彼はうつ状態だったのではないかと思うのです。

 

 

 うつ病を発症すると何もやる気が起きず、引きこもりがちになります。何を見ても何をやっても楽しく感じない。朝に目が覚めることも億劫になる。そんな状態を放置していると、最悪の場合、自らの命を絶つ危険性もあるのです。

 

 

 彼はまさにそのケースでした。周りに気づかれないように、自分の気持ちとは裏腹に表面上明るく振る舞っていたために、気が付きませんでした。

 

 

 彼は誰に対しても公平で優しい人でした。いつも嫌な顔ひとつしたことがありません。たとえどんなにひどい仕打ちを受けても、恨み言など言わない。特に女性に対しては無尽蔵な優しさを見せました。

 

 

 都内の某所にある飲み屋街の外れに彼の経営するバーがありました。細い路地裏の建物の地階にあり、カウンターに6人も座れば満員になるようなこじんまりとした店でした。その界隈に行きつけのパブがあって、そこのホステスに連れられて入ったのが最初です。この規模のバーには大概、常連客ばかりで席が埋まるので、一見客はなかなか入りにくいものです。

 

 

 初めての時はほとんど彼と口も利かずにいたのに、不思議なことに数日後にまたその店に行きたくなり、今度は一人で入りました。前回、名乗りもしませんでしたが、彼はしっかりと私のことを覚えていて、スコッチのボトルを出してきて、すぐにダブルの水割りを作ってくれました。私のお気に入りの飲み方です。それ以降、私も常連の一人になったのは言うまでもありません。

 

 

耐えて耐えてなお耐える

 

 

 雑誌編集の仕事は夜が遅いのが普通です。とくに締め切り前になると深夜まで仕事をすることが多く、仕事帰りにちょこっとその店に寄ることが習慣のようになっていました。とっくに日付けが変わり深夜2時、3時に店に行くと、さすがに客は私一人でした。とりとめのない話をしているうちに、彼はぽつりぽつりと自分のことを語り始めました。きっと酔いも多少まわっていたのでしょう。

 

 

「僕が以前一緒に住んでいた彼女はお水系の仕事をしていてね。ああいう仕事はストレスが溜まるんでしょう、時々荒れては、目についたもので僕を殴るんですよ。ある時、ゴルフのパターで手加減なしに思いっきり殴られたんです。気絶するまでやるんです」

 

 

 そう告白する彼になぜ殴るのをやめさせないのかと訊いたところ、彼は平然とこう言いました。

 

 

「僕で済むのなら、彼女の気が済むまで殴らせてあげようと思ったんです。あとでちゃんと謝ったから許しちゃいました。でもこのままでは本当に彼女はいつか僕を殺すかもしれない。そう思って、別れることにしたんです」

 

 

 常連客の仲間入りをしてからは頻繁にその店に顔を出すようになり、しだいに打ち解けて、いろいろと彼の私生活について話を聞いてあげました。私より十五、六歳年下の彼は、私を兄のように思っていたのかもしれません。

 

 

 女性には飛び切り甘いのが彼の最大の欠点でもあり、見方を変えれば、優しさの表れでもありました。とにかく付き合う女性にいいように振り回され、そのたびに傷ついてしまう。それが彼なりの誠意なのですが、あまりに一途になり過ぎて自らを精神的に追い詰める結果となったのかもしれません。

 

 

 誠心誠意尽くした挙句、捨てられるのはいつも彼の方でした。彼との付き合いが長くなるにつれて、ちょっとした言葉の端々でまた女に振られたなとぴんとくることもありました。でも彼はいつも笑顔で冗談を言い、決して場を白けさせるようなことはしません。笑顔の陰で泣いていたに違いない。そうした彼にその時は気づくことが出来なかった。

 

 

身辺整理・リセットは危険な兆候

 

 

「この店は十周年を機に閉めようと思っています」

 

 

 突然、そのように切り出されて私は慌てました。なんで流行っているのにやめるのかと問いただしました。

 

 

「僕には夢があるんです。実家は小さな町工場を営んでいるんですが、両親がそろそろ廃業したいと言うので、それなら僕が長年の夢だった居酒屋をそこに出そうと思うんです」

 

 

 ちょうどある女性からひどい仕打ちを受けて別れたばかりでした。十周年ということにかこつけて、一度、生活をリセットしたかったのだと思います。どんな辛いことでも真正面から立ち向かっていく彼の一途な性格がそうさせたに違いありません。しかし身辺整理や生活をリセットしたいということは、実は危険な兆候だったのです。

 

 

 閉店が決まり、別れを惜しむ常連客が押し寄せる中、私はあえて店には顔を出しませんでした。冷たいと思われるかもしれませんが、私なりの別れの流儀です。でも本当にさよならをしなければならなくなるとは思いもよりませんでした。

 

 

 知人から彼の訃報を知らされた時は、彼の悩みを聞いてあげられなかったことが悔やまれました。どんなひどい仕打ちにも耐えに耐えるという性格。一途な故にひとり思い詰めるタイプ。彼がその典型でした。

 

 

 辛さを隠そうとすると、心に非常に大きな負荷が掛かります。耐えて、無理を重ねて、しだいに追い詰められていく。彼のような「思い詰めタイプ」はうつになりやすいのです。うつになっても、彼のように表面上は平静を装うことで、周囲が異変に気付かないうちにさらに症状は悪化します。

 

 

 このタイプのうつは一番危険なのです。もしも皆さんの周りにそんな「思い詰めタイプ」の方がいたら、うつになる前に、これ以上無理はしないように悩みを聞いてあげてください。

 彼または彼女を救えるのは、あなたしかいないかもしれないのです。