明日を元気に生きるための「心の処方箋」

頑張り過ぎて疲れたあなた、心を痛めたあなたへ。言葉の癒しを実感して下さい

履きなれた靴はなかなか捨てられませんよね?

 イメルダ婦人ほどではありませんが、誰でも玄関の下駄箱には、もう履かなくなった靴や一度しか履かないでそのまましまい忘れている靴が何足かはあるはずです。それらの靴はいつか出番があるかもしれないとの持ち主の思い入れで、ずっと放置されます。実際には、履かなくなった靴をもう一度、下駄箱の片隅から引っ張り出す機会など、なかなかないもの。それでも、何故か靴はなかなか捨てる気になれません。皆さんはどうでしょうか。

 

 

 フィリピンのかつてのファーストレディだったイメルダ婦人は、何と千足もの靴を所有していたそうです。有名ブランドばかりのシューズは、夫人の足に一度きり収まった後はもう二度と使用されることはないのです。かのイメルダ婦人ほどではないものの、世の中の女性には”ミニ・イメルダ”的な人も多いらしく、履きもしない靴を何足もコレクションされている方も少なからずいらっしゃるようです。

 

 

 せっかくのブランド物の靴なのに、何となく気に入らずに一度きりしか出番がないということも多いようです。でも捨てるには勇気がいります。今では、ネットオークションに個人でも気軽に出品できるので、履かなくなった靴には第二の人生があるのかもしれません。

 

 

 気に入らない靴やちょっとサイズが合わない靴ならまだしも、履きなれた靴というのは、ちょっとくたびれたりしても愛着があるので、ますます捨てられません。私自身、貧乏性なのかもしれませんが、気に入った靴ばかりを履いてしまう癖があります。雨の日も雪の日も(さすがに雪の日には履かないかもしれませんが)、下駄箱から出す靴はいつもの履きなれたものです。

 

 

 もちろん、それなりに毎日磨いていますし、定期的に革専用のクリームを塗りこんだりと、手入れを怠りません。よく手入れをしていれば、案外、靴は長持ちするものです。それでますます愛着が湧いてくる。勢い、多少くたびれきても捨てられなくなってしまうのです。

 

 

足元を見られないように

 

 

 街中を歩く会社員の靴を観察してみると、踵がいびつに減ったままの方が結構多い。かつての美しい輝きはいずこへ行ったのかと靴がかわいそうになるような、擦り切れてつや消しとなった靴を履いている方もよく見かけます。多分、その方は仕事が忙しすぎて靴の手入れをする余裕がないのかもしれません。びしっとスーツを着こなしていながら、靴だけがくすんでいるという方も結構います。足元を見られるという言葉がありますが、まさしくその通りで、そんなお手入れされないままの靴では、せっかくのファッションも台無しです。

 

 

 ホテルマンや銀座のホステスさんはまず客の足元をチェックするといいます。いくらスーツにネクタイをきちんと締めていても、だらしない靴を履いていては、その程度の客とみられてしまうのです。別に富裕層でなくても、足元まできちんと行き届いている方は、それなりの人物と判断されるそうです。

 

 

 今や少なくなりましたが、駅などには靴磨きコーナーがあって、外回りの営業マンらしき方々が順番待ちをしている光景が見られました。東京駅に駅構内ではありませんが、入り口付近の路上で靴磨きの商売がまだ生き残っています。そこで靴を磨いてもらっている会社員の方の足元をちょっとのぞき見したところ、案外な品物の靴でした。そういう方はもちろん普段、ご自宅でもきちんとお手入れを欠かさずにされているのでしょうね。

 

 

 ホテルオークラには靴磨きの名人と呼ばれる方がいらっしゃるそうです。その方に靴を磨いていただければ、一流の男になった証しと言われています。でもまあ、一足数十万円の靴でもなければ、とても恐れ多くてそんな名人の前に足を突き出すわけにはいきませんよね。一般ピープルはやはり自分できちんとお手入れしておけばいいのではないでしょうか。

 

 

「きゅっ きゅっ きゅう」

 

 

 むろん、プロの技には敵うはずもありませんが、お気に入りの靴を自分で手入れするのは案外楽しいものです。芥川也寸志の作曲した童謡に『きゅっ きゅっ きゅう』という歌があります。子供が家族の靴を磨く時のことを歌った曲です。あんな気持ちで靴を毎日、磨きたいものですね。あの歌を歌いながら、靴磨きをしたら、きっと童心に返ることができるかもしれません。

 

 

 なるほど、なぜ履きなれた靴をなかなか捨てられないのか、その理由がわかりました。子供がお気に入りのおもちゃをいつまでも手放せないのと同じ気持ちになるのかもしれません。では、ちょっと下駄箱を覗きに行きましょうか。